芸術作品のアウラを体感した「オルセー美術館展、印象派の誕生―描くことの自由」@国立新美術館(六本木)レビュー

国立新美術館で開かれている「オルセー美術館展、印象派の誕生―描くことの自由―」に行ってまいりました。マネの「笛を吹く少年」と、モネの「草上の昼食」が大きく取り上げられ、宣伝に使われていました。印象派の殿堂、オルセー美術館から厳選された名画が集結されています。

日本に住む私にとって、パリのオルセー美術館の作品を直接見られることは、ありがたくて貴重な体験です。今回の美術展では、印象派の作品を中心にオルセー美術館の名画の84点を見ることができました。

「オルセー美術館展」の帰り際に寄ったカフェでケーキを食べていたら、隣のテーブルの中年の女性二人の会話が聞こえてきました。「ルーブルとオルセーならオルセーのほうがいいよね」、「そうね、ルーブルは古すぎたもんだから、こっちのほうが私は好きだわ。」思わず、ふふっと笑ってしまいました。

オルセー美術館(Musée d’Orsay)とは?

オルセー美術館 http://europeantrips.org/から画像引用
オルセー美術館
http://europeantrips.org/から画像引用

オルセー美術館は、ルーブル美術館(ルーブル博物館)と共にパリを代表する美術館です。オルセー美術館が開館したのは1986年なので、長い歴史を持つルーブル美術館と比べるとまだ新しい美術館です。景観が美しいことでも有名なこの美術館は、パリ万国博覧会のときにセーヌ河左岸に造られた豪華な駅舎を生かした形で造られました。

「印象派の殿堂」と呼ばれるオルセー美術館は、画家個人の主観と感性に意識が向かった近代美術のための美術館です。ルーブル美術館が19世紀以前の作品を所蔵する美術館であり、ポンピドゥー・センターが現代美術作品を扱う美術館ですが、オルセー美術館は、これらの美術館が扱わない近代美術作品を一箇所に集めるために作られた美術館だからです。オルセーは、1848年の2月革命を経た第2共和国成立以降の作品を主に扱います。ルーブルが「過去」、ポンピドゥー・センターが「現代」を見せる美術館ならば、オルセーは、19世紀後半から現代をつなぐ接点であり、過渡期的段階の美術史を見せると言えるでしょう。なので、日本人が愛する印象派の画家の作品は、オルセー収蔵のものが多いです。また今回の「オルセー美術館展」では紹介されませんでしたが、理性と科学性を追求し新印象主義の作品の多くもオルセー美術館が扱っています。

2014年『オルセー美術館展、印象派の誕生―描くことの自由―』

作品はどれも素晴らしい作品なので非の打ちどころがないですから、作品の話はさておき、美術展の話をしてみましょう。

近代美術の大きな流れだった印象主義および写実主義の作品を集約してみることができる点だけでも、この美術展には大きな意義があります。美術展のタイトルからもわかるように、今回の「オルセー美術館展」は、印象派、中でも印象派運動の始発点となったマネが中心となっています。

印象派を生み出しだ土壌―19世紀近代化されていくパリ

当時、落選者たちであったマネ、モネ、セザンヌ、ピサロ、シスレーなどによる作品が今日の私たち与える感動は、彼らが「描くことの自由」を求めたからでしょう。既存の遠近法を無視し、平面的な構図をとったり、ありのままの日常を描いたり、風景を描いたり、赤裸々な都市生活を暴露したリ…。当時の印象派の画家たちは、破格な改革家でした。クラシックな美術に慣れていた人々にある面、彼らの絵は醜く、品がなかったのです。しかし、落選された作品の展示会は世間に大きな反響を呼び起こしました。その背景には早いスピードで変わりゆく都市、パリとヨーロッパの近代化がありました。さらにイギリスではじまった産業革命や、人間を道具化し始めたルネ・デカルトの科学的理性を重んじる思想が生み出した人間の機械化がありました。

エッフェル塔と凱旋門の都市、パリ。多くの芸術家たちが活動する舞台となった19世紀ヨーロッパの中心地であったパリは、オスマンのパリ大改造計画によって変わりつつありました。それはデカルトの合理主義的な世界観が投影された都市計画でした。またそれは、幾何学的に整頓された町を目指した町づくりでもありました。

中世以前の都市は、その場に生きた人々の便利によって作り上げた偶然で無計画的なものでした。曲りくねった道やその時その時の都合によってつくられた町はそこに生きた人々の歴史が積み重なって出来上がった有機的で生活の匂いがする場だったのです。しかし、デカルトのコギトは、数学と幾何学的に空間と自然を人間から対象化させます。これは、15世紀遠近法を理論化したアルベルティが「建築論」の中で物語ったコスモスの空間をさらに発展させたものだとも言えます。ここでいえるコスモスとは、視覚が感じ取る調和の取れた美―幾何学的に完璧なもの―であるからです。既存の美が追求した、あるいは、既存の芸術家たちが追求した美は、調和の取れた美しさであり、それゆえ宗教画などに多く描かれた美でもあると思います。

19世紀後半、つまり印象派画家の時代は、調和がとれた視覚的にきれいな近代都市パリが完成されていった時代でした。人間の居住より人の流れと循環が先立って考えられ、きれいな町造りのために、それまでの歴史を消しゴムで消すかのように消してしまおうとした時代。この時代に生きた画家たちが、光の溢れる外に出て、変わりゆく生活の場である自然を描き始めたのは偶然ではないでしょう。近代化された町の中でもみずみずしく生きている人々をカンヴァスに写したくなるのは当然な動きかもしれません。スナップ写真におさめられるようなリアルではなく、画家独自の視線によって再創造されるリアルを自由に描こうとしたのが印象派の動きでした。描く自由を求めた印象派の誕生は、人の生の営みさえも機械化しようとする近代化の波に、人間らしく生きるために立ち向かおうとした結果ではないでしょうか。私たち人間の生および自然の有り様は、いくら高度なカメラで撮ったスナップ写真であろうと、一枚の写真に収めることができない神秘そのものであり、奇跡ですから。

 

9つの章に分かれて鑑賞―①マネに初まり、➈マネに終わる

美術展は、前もって予告してあった通り、「マネに始まり、マネに終わ」りました。印象派の誕生を告げたマネの初期の作品から晩年の作品まで11点が楽しめられます。この美術展は、9つの章に分けられておりますが、新しい画風を開いたマネの作品が1章と9章を飾ってあるのです。2章では、レアリスムの諸相、3章では歴史画、4章では裸体、5章では印象派の風景、6章では静物、7章では肖像、8章では近代生活というテーマに分かれて作品が展示されていました。

雰囲気を感じていただくために、何点が載せますね。

1章、マネ、新しい絵画 

《笛を吹く少年(Le fifre)》 エドゥアール・マネ、1866年 油彩、カンヴァス 160.5×97cm オルセー美術館(パリ)
《笛を吹く少年(Le fifre)》
エドゥアール・マネ、1866年
油彩、カンヴァス
160.5×97cm
オルセー美術館(パリ)

印象派の誕生を告げたエドゥアール・マネの初期の作品たちが展覧会の最初の章の飾ります。中でも一番最初に展示されるのが、この「笛を吹く少年」の絵。太い輪郭線と平面的な色使いがジャポニズムの影響を感じさせます。なので日本で開かれる「オルセー美術館展」の最初の飾るには最も良い絵ではないかと思いました。

 

2章、レアリスムの諸相

《 晩鐘(L'Angélus)》 ジャン=フランソワ・ミレー、1857-59年 油彩、カンヴァス 55.5×66 cm
《 晩鐘(L’Angélus)》
ジャン=フランソワ・ミレー、1857-59年
油彩、カンヴァス 55.5×66 cm
《床に鉋をかける人々(Raboteurs de Parquet)》 ギュスターヴ・カイユボット、1875年 油彩、カンヴァス 102×146.5cm オルセー美術館(パリ)
《床に鉋をかける人々(Raboteurs de Parquet)》
ギュスターヴ・カイユボット、1875年
油彩、カンヴァス
102×146.5cm
オルセー美術館(パリ)

3章、歴史画

《ローマのペスト(Peste à Rome)》 エリー・ドローネー、1869年  油彩、カンヴァス 131.5×177cm  オルセー美術館(パリ)
《ローマのペスト(Peste à Rome)》
エリー・ドローネー、1869年
油彩、カンヴァス 131.5×177cm
オルセー美術館(パリ)

4章、裸体

《ヴィーナスの誕生(La Naissance de Vénus)》 アレクサンドル・カバネル、1863年 油彩、カンヴァス 130×225cm  オルセー美術館(パリ)
《ヴィーナスの誕生(La Naissance de Vénus)》
アレクサンドル・カバネル、1863年
油彩、カンヴァス 130×225cm
オルセー美術館(パリ)

マネが「草上の昼食」で大きく非難を浴びた年のサロンで高い評価を得た「ヴィーナスの誕生」。ギリシア神話の愛と美の女神ヴィーナスが海の泡から生まれた誕生の場面が描かれています。目を半ば開いたヴィーナスの朦朧とした表情は、官能的で魅惑的ですね。19世紀のアカデミック絵画を代表するこの作品により、ガバネルは富と名声を手に入れるようになります。印象派グループの作品をサロンで落としていったガバネルの作品が、今となっては、彼が批判していた印象派画家たちと同時代に成功をおさめた例ということで注目されるのですから、アイロニーですね。

《牧歌(Pastorale)》 ポール・セザンヌ、1870年 油彩、カンヴァス 65×81 cm   オルセー美術館(パリ)
《牧歌(Pastorale)》
ポール・セザンヌ、1870年
油彩、カンヴァス
65×81 cm
オルセー美術館(パリ)

「ドン・キホーテ」の一場面を描いたセザンヌの「牧歌」の構図は、マネの「草上の昼食」のそれに影響を受けたと言われています。セザンヌは、マネの「草上の昼食」に対抗し、同名の絵を描いたこともありますね。セザンヌがいかにマネを意識したかが感じられます。

5章、印象派の風景(田園にて/水辺にて)

この美術展の章の分け方に感謝したのは、風景画の章を見てからでした。というのは、オルセー美術館本場ではなく日本で見るからの特別さがなかったのです。風景画だけがまとまっているのは他にはあまりないのでとてもよかったです。

私はあまり風景画が好きではないのですが、当時、画家が見たであろう風景が絵を通り越してリアルになって私の目の前で繰り広げられているような感じでした。大きくはない絵が多く密集しているので、とても不思議な感じがしました。変わりゆく自然。それを眺める画家の視線が一つの空間に集約され、ミステリアスで神秘的な感じさえもしました。季節感の感じられる作品たちを交互に眺めていると、ファンタジーの世界にいるような気がしたのです。

 

《イギリス種のナシの木(Le poirier d'Angleterre)》 オーギュスト・ルノワール、1873年 油彩、カンヴァス 66.5×81.5 cm オルセー美術館(パリ)
《イギリス種のナシの木(Le poirier d’Angleterre)》
オーギュスト・ルノワール、1873年
油彩、カンヴァス
66.5×81.5 cm
オルセー美術館(パリ)

ルノアールの「イギリス種のナシの木」は、とても夢幻的で、木の匂いがする錯覚がすると共に、その葉むらに吸い込まれるような感じがして、しばらく、貪るように見つめてしまいました。シスレーの「ルーヴシエンヌの道」はまるで私がその場にいる気がしてならなかったのです。一度も行ったことのないその風景に懐かしい感じさえもしました。

モネの「アルジャントゥイユの船着場」はどうでしょう。鬱蒼な日陰の木々や白い雲と日傘を持って出かけた紳士淑女…私がその絵の中に実際に居ないで博物館の絵を眺めている事に返って不思議さを感じるほどでした。モネがあの風景を眺めた日の午後の太陽の日差しと心地よい風や草の揺れるたびに吸い込まれる草の匂い…まるで感じたことがあるような…いや、モネと肩を並べてその風景を眺めた思い出があり、今それを懐かしく思い出しているような錯覚がしたのです。

《アルジャントゥイユの船着場(Le Bassin d'Argenteuil)》 クロード・モネ、1865年 油彩、カンヴァス 60×81 cm  オルセー美術館(パリ)
《アルジャントゥイユの船着場(Le Bassin d’Argenteuil)》
クロード・モネ、1865年
油彩、カンヴァス
60×81 cm
オルセー美術館(パリ)

他にも、素敵な絵が多くあり、それぞれ違う季節の匂いがしました。錯覚か大げさな表現だというかもしれませんが、少なくとも私にはひしひしとその匂いが迫ってきて離してはくれませんでした。

 

6章、静物

《スープ入れのある静物(Nature morte à la soupière)》 ポール・セザンヌ、1873-74年頃 油彩、カンヴァス 65×81.5 cm  オルセー美術館(パリ)
《スープ入れのある静物(Nature morte à la soupière)》
ポール・セザンヌ、1873-74年頃
油彩、カンヴァス 65×81.5 cm
オルセー美術館(パリ)

目の前のりんごをそのまま描くのではなく、自分の感性の世界のりんごを描いた画家、セザンヌ。セザンヌが描いたりんごは、多数の視点から描かれています。現実のりんごとカンヴァスの中のりんごは、まったく違うものなのです。セザンヌが描いたのは、彼がモデルとしたりんごではなく、彼の心の中のりんご、セザンヌのみが表現し得る絵画の中のりんごでした。セザンヌは、「りんご」という名前を持ったりんごではなく、「りんご」と呼ばれようが呼ばれなかろうが、「りんご」と名付けられる前も後も変わらない「りんごの本質」を描こうとしたのでしょう。

7章、肖像

《家族の集い(Réunion de famille)》 フレデリック・バジール 1867年(1869年に加筆) 油彩、カンヴァス 152×230 cm  オルセー美術館(パリ)
《家族の集い(Réunion de famille)》
フレデリック・バジール
1867年(1869年に加筆)
油彩、カンヴァス 152×230 cm
オルセー美術館(パリ)
《死の床のカミーユ(Camille sur son lit de mort)》 クロード・モネ、1879年 油彩、カンヴァス 90×68 cm  オルセー美術館(パリ)
《死の床のカミーユ(Camille sur son lit de mort)》
クロード・モネ、1879年
油彩、カンヴァス
90×68 cm
オルセー美術館(パリ)

病気により32歳の若さで死を迎えたモネの妻カミーユ。モネの「散歩、日傘をさす女」に描かれた彼女です。子宮がんだっただろうと言われるカミーユが病気に苦しんでいた頃、実はモネにはアリスという愛人がいました。アリスはモネに絵を依頼した実業家の妻でしたが、夫の倒産後、モネのところに住んでいたと言います。カミーユが亡くなるまで、カミーユの病気の世話もしていたそうですね。この絵を眺めていたら、カミーユが感じたであろう感情、愛人の妻を看病するときのアリスの心、そしてモネがカミーユを描く時の思いやカミーユの死後この絵を眺めたときの彼の複雑な気持ちといったような様々な感情が混じり合い、涙が出てしまいました。

8章、近代生活

《サン=ラザール駅(La Gare Saint-Lazare)》 クロード・モネ、1877年 油彩、カンヴァス 75×105 cm  オルセー美術館(パリ)
《サン=ラザール駅(La Gare Saint-Lazare)》
クロード・モネ、1877年
油彩、カンヴァス
75×105 cm
オルセー美術館(パリ)

9章、円熟期のマネ

《アスパラガス(L'asperge》 エドゥアール・マネ、1880年 油彩、カンヴァス 16.9×21.9 cm オルセー美術館(パリ)
《アスパラガス(L’asperge》
エドゥアール・マネ、1880年
油彩、カンヴァス
16.9×21.9 cm
オルセー美術館(パリ)

マネの「アスパラガスの束」を購入した美術史家のシャルル・エフリュッシは、マネの希望額よりも200フラン高い金額で「アスパラガスの束」を買い取りました。そのお礼として、「あなたのアスパラガスの束から一本抜け落ちていました」という一文を添えてこの絵を贈ったと言います。知的だったマネならではのセンスの良さを感じます。

《ロシュフォールの逃亡》 エドゥアール・マネ、1881年 油彩、カンヴァス 79×72cm オルセー美術館(パリ)
《ロシュフォールの逃亡》
エドゥアール・マネ、1881年
油彩、カンヴァス
79×72cm
オルセー美術館(パリ)

 

少し欲を言うならば…

「印象派の誕生」をテーマにし、マネを中心人物として取り上げた点は、単にオルセー美術館の作品を展示したということ以外のユニークさがあると思いました。しかし、あまりにも素晴らしい作品が多かったせいか、そのユニークさがあまり生かされていないことに残念な気持ちもありました。もちろん、このような感想は、美術展を見終わって一日くらい経ってからの感想で、見ている最中や見終わった直後は、作品一つ一つの魅力に圧倒されておりました。今だからこそいえることは、章の分け方がやや雑ではないかということです。また章の順番も気になりました。マネの後にレアリスムの諸相がくるよりは、古典主義の作品や歴史画が来て、その後にレアリスムや近代生活などが来るほうはしっくりくるのは私だけでしょうか。あるいはマネにこだわらず、最初から描かれた対象を基準にシンプルに選んだほうがよかったではという気もしました。

 《草上の昼食(Le Déjeuner sur l'herbe)》(中央)  クロード・モネ、1865-66年  油彩、カンヴァス  248.7×218 cm オルセー美術館(パリ)
日本初公開であるモネの「草上の昼食」
《草上の昼食(Le Déjeuner sur l’herbe)》(中央)
クロード・モネ、1865-66年
油彩、カンヴァス
248.7×218 cm
オルセー美術館(パリ)

欲を言えば、今回はマネの「草上の昼食」が落選した年のサロンで高い評価を得たアレクサンドル・カバネルの「ヴィーナスの誕生(4章裸体参照)」も来日しているので、マネの「草上の昼食」や「オランピア」も一緒に来日にしていたらなという気持ちがありました。また、セザンヌとモネの「草上の昼食」と共に、それらが描かれるようになったきっかけであるマネの「草上の昼食」を並べて見れたらなーと。またモネの「草上の昼食」が「モネの最高の傑作」という点ではあまり同意できず、もやもやしました。マネの「草上の昼食」ならまだしも、モネの「草上の昼食」はサロンにも出品できず大きく破損されてしまっているので、最高の傑作だと思う人は、ごく一部ではないだろうかと思ったのです。

 

胸騒ぎと感動があった「オルセー美術館展」

少し辛口で文句を付けましたが、私はもう一度行きたい、いや二度も三度も行きたいと思うほど好きでした。ある一人の画家の美術展ではなくこれほど多くの傑作を一度で展示するには、章も分けづらかっただろうと思います。誰に焦点を当てればいいかわからないほど有名な画家ばかりで、日本人の好きな印象派画家の作品が多く所蔵されたオルセー美術館の作品なので、対象をテーマに分けたことによって、特定な一人の画家や印象派展ではなく、「オルセー美術館」という特徴が生かされたのかもしれません。そして何より、作品がとても素晴らしいです。この作品をいつ日本でまた出会えるか…画本では感じられなかった作品のアウラが直に伝わってき、感動そのものでした。

この美術展に行って初めて好きになった作品がいくつもありました。三つを挙げるなら、カイユボットの「床に鉋をかける人々」、モネの「死の床のカミーユ」、美術展の最後の飾ったマネの「ロシュフォールの逃亡」です。これらの絵を見た瞬間、涙があふれ出てきました。

特に、カイユボットの「床に鉋をかける人々(2章レアリスムの諸相参照)」を見ては、圧倒されて涙が出、足が震えてしまうほどでした。恥ずかしさも忘れて涙がこらえきれず、つけていたマスクがびしょびしょになってしまうほどずっと泣いていました。どれくらい見つめていたかもわからないほどの長い間、私はずっとそこに立って泣いていました。永遠でもあるような、刹那でもあるような、時間を。労働者階層であろう彼らの光り輝く実存の瞬間がうかがえました。肉体労働者の筋肉に落ちては光る光線。その眩しい光は、黙々と働く彼らの存在の輝きのように見えました。そのあまりにもリアルな美しさに涙が止まらなかったのです。その純粋な感激と共に、絵の中に閉じこまれてしまった彼らに対する憐れみと悲しみの感情もありました。画家の視線に引っ張られ、カンヴァスの中に閉じこまれて永遠に働かなければいけなくなった彼ら労働者に憐みを感じずにはいられなかったのです。にもかかわらず、人間の強さと自由を感じさせる彼らの姿は、誰よりも美しく、輝いていました。「床に鉋をかける人々」、この一つの作品を見るためにでもこの展示会は行ってみるべきだと言いたいほど、私は深い感動を味わいました。

「オルセー美術館展、印象派の誕生―描くことの自由―」、人ごみと騒音がやや気になりますが、その作品たち―そしてそれらを通して画家たちが話しかけるメッセージー―は、その不快感をはるかに上回る興奮と感動、幸せを与えてくれます。パリで既にオルセー美術館に行かれた方も、「風景画」が集まっている奇妙な空間には、本場のオルセー美術館とは違う魅力を感じ、楽しむことができるのではないでしょうか。絶対に見逃してほしくない美術展です。変わりゆくパリを生きた画家たちの84点の名画をまとめて見れる機会はなかなかありませんから。


 

【美術展情報】

六本木の国立新美術館で開催されている「オルセー美術館展」のポスター
六本木の国立新美術館で開催されている「オルセー美術館展」のポスター

○美術展名: オルセー美術館展、印象派の誕生 ―描くことの自由―
(仏:Naissance de l’Impressionnisme : La liberté de peindre. Collections du musée d’Orsay)
○会期: 2014年7月9日(水)~10月20日(月)
○休館日: 毎週火曜日
*ただし8月12日(火)、9月23日(火・祝)、10月14日(火)は開館、9月24日(水)は休館

○会場:
国立新美術館 企画展示室2E (東京・六本木)
(〒106-8558 東京都港区六本木7-22-2)
http://www.nact.jp/

○開館時間
午前10時~午後6時 金曜日は午後8時まで
*8月16日(土)以降の毎週土曜日および10月12日(日)以降は毎日午後8時まで
*入場は閉館の30分前まで

○主催:国立新美術館、オルセー美術館、読売新聞社、日本テレビ放送網
○後援:外務省、在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本、J-WAVE
○特別協賛: Canon、第一生命
○協賛: エールフランス航空、花王、清水建設、損保ジャパン日本興亜、大日本印刷、大和ハウス工業、トヨタ自動車、みずほ銀行、三井物産
○協力:サントリー食品インターナショナル、ピー・シー・エー
○展示作品 リスト


 

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芸術作品のアウラを体感した「オルセー美術館展、印象派の誕生―描くことの自由」@国立新美術館(六本木)レビュー” への3件のフィードバック

  1. 画家の偶然な視線がとどまった風景。その瞬間は長く長く固定されますね。いま、この瞬間も私たちが通り過ぎる風景を眺める人がいるでしょう。痛ましく、愛おしく、愛情を込めて。

  2. 画家の偶然な自然が留まった瞬間、その風景は固定されてずっとずっと残りますね。

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