アンジェリーナ・ジョリーのために作られた魔女不在の魔女物語『マレフィセント』―『アナと雪の女王』との比較から|『マレフィセント(Maleficent, 2014)』レビュー

『アナと雪の女王』に続く家族愛の映画『マレフィセント』

『アナと雪の女王(2013)』に続いて公開されたディズニー映画『マレフィセント』も大人気で上映中だそうです。ディズニー映画の力が再び証明され、ディズニー第二の全盛期が来るのではないかと密かに期待してしまいますが、やや不安であることも事実です。『アナと雪の女王(以下、アナ雪も称することもあり)』を面白さは勿論、深い感動に包まれて楽しんだので『アナ雪』の人気は自分のことのように嬉しかったですが、『マレフィセント』の人気には、些か納得いかない部分があります。

(このレビューはネタバレを含みます。ネタバレを望まない方は、「backspace←」を)

私は『アナ雪』の次に公開されるディズニー映画『マレフィセント』を今か今かと楽しみにしておりました。予告編で見たアンジェリーナ・ジョリーがマレフィセントそのもののカリスマを放っていたのも印象深かったです。悪役の魔女マレフィセントをヒロインに立て、アンジェリーナ・ジョリーという魅力溢れる女優にその役を任せたことはかつてのディズニーなら想像できないほど珍しい出来事でした。それ故『マレフィセント』の公開日を待ち望み、遠足日を待つ子供のように期待いっぱいの胸を弾ませていました。

期待が大きすぎたのでしょうか。片思いの彼との初めてのデートに出かける気持ちで出会った『マレフィセント』の感想は「名物にうまいものなし」でした。私がこのような感想を書いているのは、映画が公開して1か月半くらいが経つ時点です。その理由は、『マレフィセント』へのがっかり感、いやもっと正確にいうとディズニーへの失望感とメディアの絶賛の声にギャップを感じたからです。また文句をつけるほどの出来の悪さではなかったということも私の気持ちを複雑にさせました。家族映画専門のディズニーのエンターテインメント映画としてはよくできた映画です。映像もすごくきれいで「さすがアンジェリーナ・ジョリー」と口を漏らしてしまうほどの主人公の存在感も圧巻でした。「『マレフィセント』どうだった?」と聞く友人に「可もなく不可もないかな―面白いっちゃおもしろいけどね」と答えてしまいました。ケチをつけるほど悪くはないが、だからといって凄くいいとは言いがたい映画、それが私の『マレフィセント』を見た後の素直な感想です。私が『マレフィセント』を見て感じた感じた失望感は、この映画が悪い映画だからではなく自分で勝手に抱いたディズニースタジオへの期待が崩れたことへの残念さだったのかもしれません。

『アナと雪の女王』を起点にディズニーが変化を図っているのは確かです。固定観念を破り、既存の古典的なお伽噺の世界観から脱皮し、今日に見合った形のお伽話を作ろうとしています。『アナ雪』の大成功は、ディズニーの挑戦に勇気を与え、ディズニーの向かうべき方向性を提示したでしょう。『マレフィセント』は、ディズニー史上初めて悪役をヒロインに立て、『眠れる森の美女』の物語を書き換えています。時代の変化と共に、悪役への理解を求めるほど私たちは成熟したのかも知りませんね。

(C)1959 Disney Enterprises, Inc. All rights reserved.
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「眠れる森の美女」は王国の王室に久しく生まれた姫が主人公でした。もし姫が主人公の話だったら飽き飽きしてくるお伽噺と思いがちです。しかしこの映画は、姫に呪いをかけた魔女、マレフィセントを中心に物語を進めています。以前の記事(『アナと雪の女王』からディズニーアニメを考える)で述べたように、ディズニーが描く物語の図式は、至って単純で「お姫様と王子様のハッピーエンド」で締めくくる形で勧善懲悪のメッセージを伝えます。ここで、男女および善悪の関係性ははっきりわかる形で平面化かつ単純化されているのが特徴です。そうするこによって美しい童話のファンタジーをフィクションとして最大化させるのがディズニー映画だったのです。しかし、『アナ雪』において、登場人物のキャラクターおよび関係性は複雑化するようになりました。そうして出来上がった二人のヒロイン、エルサとアナは、前近代的なステレオタイプを壊し生き生きと自らを成長させていきます。そして二人の成長の過程に描かれる葛藤と解決はとても人間臭さを持つようになりました。同時に童話のファンタジー性を失わない絶妙なバランスを保っていますね。こうして『アナと雪の女王』は、子供は笑って見、大人は泣いて見る映画となり、異例的なヒットを記録するようになります。

私が『マレフィセント』に期待したのはそういう感動でした。成長したディズニーの感動と面白さ、かつてはあまり見受けられなかった深い余韻のある感動を『マレフィセント』でも味わい、笑いながら泣き、泣きながら胸を満たせる甘酸っぱさにも似たような甘ったるさ・・・私はそういった期待にふさわしいだろうという前提からこの映画を見るように見ました。新鮮で、破格で、膨らんだ期待という前提です。そしてあの『アナ雪』の感動をもう一度味わえるだろうといった胸騒ぎという前提でこの映画を見ざるを得なかったのです。

それでは『マレフィセント』の話に入りましょう。マレフィセントという名前はあまり馴染みのないものかもしれませんが、私たちがよく知っている『眠れる森の美女』の物語に出てくる魔女はとても有名ですね。あの怖い魔女マレフィセントをヒロインに立てた映画『マレフィセント』は、マレフィセントという人物を中心に描かれる彼女が呪いをかけるプリンセスオーロラとの「関係」に焦点が当てられた家族ドラマです。

マレフィセントは、ヘンリー王が支配する人間の王国に隣接する平和な妖精の国に生きていた妖精です。妖精なので勿論翼があります。既存の物語で最初から語られることのなかった魔女の歴史が、翼を持った妖精として始まっています。マレフィセントが住む妖精の国と人間の国は長年対立が続いており、二つの国を統一できるのは英雄か邪悪なものであると言い伝えられてきたといいます。ここで、一人の少年が入り込み、一人ぼっちの妖精マレフィセントと友達になります。やがて二人は恋に落ち、真実の愛を約束します。この少年は後に王になり、オーロラの父になるステファンです。

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ある日、人間の王国を支配するヘンリー王はマレフィセントが守護する妖精の国を侵略しようとして戦争を起こします。そして戦争に敗北したヘンリー王は、マレフィセントを討った者に娘の王女と結婚させ次代の王とすると宣言します。野心溢れる若者であったステファンは、マレフィセントが眠りについた隙に彼女の翼を切り落とし、王の元に届けます。そしてヘンリー王に続く次期王の座に就きます。反面、心も体も傷ついたマレフィセントは、一度命を助けたカラスを使者にして人間世界を見張りながら復讐を誓います。ここで美しき姫、オーロラが生まれるのです。真実の愛を裏切り、自分の幸せを奪ったステファン王と王妃の間に生まれたオーロラを祝福するために開かれたパーティをマレフィセントが見逃すわけがありません。

ここで重要なのはマレフィセントとオーロラは互いの敵ではないということです。マレフィセントがオーロラに呪いをかけるのは、ステファン王への復讐のための手段であり、オーロラに向けられたものではありません。いわば八つ当たりのようなものです。赤ちゃんのオーロラは、マレフィセントの呪いのゆえに城から離れた森の奥で妖精たちの手で育てられます。マレフィセントは、「16歳の誕生日が可哀そうなくらい醜い赤ちゃんオーロラ」が死ぬのを待てばいい、その日が待ち遠かったはずです。しかし、オーロラを見張っている間に、深い愛情を感じるようになります。この発想も古くから続く人間的な面ですが、天下のディズニー物語という面では破格的な設定です。決まりきった話を期待に合わせて進ませてきたのがディズニーですからね。既存の物語の悪役をヒロインに立てることは、ディズニーにしては大きな冒険だったでしょう。

見張るという行為が見守るという行為に変わっていく―。極、自然な経緯かもしれませんね。人は自分を与えた分、相手を愛します。多くの時間をオーロラの成長を見張るために与えたマレフィセントは自分が呪いをかけたにも拘わらず、「いつも自分を見守ってくれる妖精さんだ」と天真爛漫に近よってくるオーロラにいつの間にか心を開いていきます。二人は親子関係のような信頼と愛の関係を築いていきます。一方で、マレフィセントは取り消しのできない、自分がかけた呪いに苦しみを感じます。呪いをかけた際、「誰もこの呪いをとぐことが出来ない」と誓ったからです。

マレフィセントは、オーロラに16歳の誕生日に彼女が糸車に指を刺されて死の眠りにつくという呪いをかけます。この呪いは、「真実の愛のキス」によって呪いが解かれること以外に呪いは解除できないものですが。マレフィセントは真実の愛などないと考えていたからです。昔、オーロラの父、ステファンはマレフィセントに「真実の愛のキス」をしました。しかし、王になるため、王の命令に従い、彼女の翼を取って持ち帰るのです。王は妖精を殺すことを命令しましたが、眠っているマレフィセントを殺し切れず、翼を持ち帰って、「殺した証拠」として渡したのです。そういう経験を持つマレフィセントが真実な愛のキスなど信じなくなるのは当然です。ゆえに、彼女がオーロラにかけた呪いを解く方法として「真実の愛のキス」を選んだのは、自分を裏切ったステファンへの嘲弄であり、「絶対に解けない呪い」であるということを指し示しています。

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『アナ雪』は、ミュージカル的演出を持って物語を引っ張っていきましたが、映画『マレフィセント』は、全的にアンジェリーナ・ジョリーという役者に依存した形で物語を進めています。アンジェリーナ・ジョリー以外に「マレフィセント」を演じれる女優がいただろうかとついに思ってしまうほど、彼女はマレフィセントに成りすませていました。自分に笑いかける赤ちゃんのオーロラを見ながら、「かわいそうなくらい醜いのね」と呟く意地悪そうな、でありながらもどこか寂しく、また愛情が感じられる表情や、愛していた男に翼を切られ絶望する顔、羽のある鳥をうらやましく、また悲しく眺めていたジョリーの顔が未だに鮮明に頭の裏に刻まれています。アンジェリーナ・ジョリーは、善と悪の二つの顔を持ったマレフィセントを見事に演じてくれました。時によって悪女にもなれば、弱い一人の女性にもなり、母の強ささえも感じさせる、マレフィセントと完全に合体したアンジェリーナ・ジョリー。彼女を見ていると「ジョリーの、ジョリーのためのジョリーによる映画」だと断言したくなります。強いて指摘するのなら、脚本の貧弱さより彼女の存在感がはるかに上回っているがゆえに、「森の眠る美女」の「マレフィセント」ではなく、「マレフィセントを演じるアンジェリーナ・ジョリー」を見ているような気がするというところです。それも彼女のカリスマと言ってしまえば、そうかもしれませんが、良くも悪くもアンジェリーナ・ジョリーは、マレフィセントというキャラクターにおいて、自分の存在感、誰も損なうことのできないカリスマを発揮しています。

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善と悪の顔を両方持った魅力的な妖精、魔女でありながら、英雄でもあるマレフィセントは、人間の両面性という特徴を童話的に表したキャラクターでしょう。『眠れる森の美女』において邪悪な魔女であったマレフィセントは、私たちが今まで知っていたように最初から魔女だったわけではありませんでした。彼女は妖精の世界を守るための魔力を持った妖精でした。愛する男の裏切りによって魔女になってしまうわけです。多くのファンタジー映画がこのような悪役の起源について時間を使わないのに比べて、映画『マレフィセント』はヒロインのために多くの時間を使って妖精が魔女になっていく経緯を描きます。このように『マレフィセント』は、既存の悪役であったヴィランの人間性、愛を際立たせ、絶対的悪として描いていた童話的観念をひっくり返す破格的な設定を持って始まります。絶対的善および絶対的悪は存在しません。悪役にも歴史ありで、悪役と考えられてきたものが実は善い存在だというのです。

マレフィセントは、「邪悪な魔女」ではなく、「傷ついた哀れな妖精」ということになります。悪役の再解釈と言いながら、ここに、魔女はいないのです。彼女はかつて人間のように愛の感情を持っていましたし、森の弱者たちを守るために魔法を使って彼らを守っていました。そのような彼女が魔女になり、復讐のために魔法を使うようになるのです。彼女が魔女になってから森の雰囲気も変わります。魔女としてのカリスマを存分に発揮したマレフィセントは、オーロラの成長と共に少しずつ変化していきます。ここで私たちは、彼女がかつての善い妖精に戻ってくることを確信できます。何にせよ、ディズニーですしね。

真実の愛を約束した幼きマレフィセントとステファンの間が互いに傷つけ合うようになるのは、愛を失った人間の欲望のゆえです。自分の成功のために真実の愛を約束した妖精を捨てて彼女の翼を証拠として持ち帰るステファン王や、自然の力に向かって武力で征服しようとするヘンリー王の支配欲は、人間の汚い欲望を剥き出しに見せてくれます。

残念ながらこの映画においてこれらのキャラクターの魅力は生かされていません。呪いをかけられた後にヒステリックになるステファン王の姿を見て、一度愛した女性を成功のために殺してしまおうとするほど野望のあった青年期の面影を感じることはできません。

オーロラに向けられたマレフィセントの憎しみが愛も納得しづらい部分があります。王や王妃に対する憎しみのために罪のないオーロラを選ぶにはもっとそれらしき名分があってもよかったかなと思います。また、いくら罪のないオーロラだとはいえ、自分の純粋な愛を利用して自分を傷つけた、死ぬほど憎い人の娘です。そのような彼女をなぜ愛情を持つようになったかの説明が詳しくされていないのは少し残念です。ここもアンジェリーナ・ジョリーという女優の視線や表情のみにすべての説明を託していますね。「あっち行って」と言っても満面の笑みで「抱っこして!」とかまってくる子供のオーロラが理由だとするなら、とても単純な理由です。愛情を感じたとしても、それは愛と憎さが混ざった感情であるはずですし、彼女を娘のように愛することは難しいでしょう。いや、その愛情が心では分かっても、頭では認められないはずです。

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オーロラもそうです。自分に呪いをかけて幸せを奪った人なのに、その経緯を知ってはとても簡単に許してしまいます。いくら思い出がないとはいえ、父親なのに彼が死んだときもまったく悲しまず、マレフィセントと再会できたことを喜びます。翼をマレフィセントに渡すのもオーロラです。『塔の上のラプンツェル(2010)』のラプンツェルがゴーテルが死んだことをあまり悲しまないのとはわけが違います。オーロラは、この物語においてサブヒロインであるにも拘わらず、とても平面的なキャラクターで、これといった存在感を見せてくれません。この物語が始まった設定を考えると、オーロラやステファン王、マレフィセント、他の妖精などなどの登場人物をより立体的なキャラクターに仕上げ、生き生きとした空間を作れたような気がするのにとてももったいないです。この映画は、人間の両面性や彼らが描く葛藤や特徴、和解に至る経緯を、単純化した形でピックアップし、いかにもディズニーっぽく仕上げてしまいます。固定観念を破るのではなく、新しい形で自らを固定させようとしているような気がしました。変化しつつ、生まれ変わるバラエティーがなかったことに残念な気持ちを隠せません。

『アナ雪』同様に、既存に知られた物語の再解釈といいつつ再解釈という枠を超え、再創造に近いところはあります。『眠れる森の美女』の裏面に隠された物語ではなく、『眠れる森の美女』のあるキャラクターを取り上げて新しい物語を描いていますからね。「真実の愛のキス」により目を覚ますのも男女の愛の証としての「王子とのキス」ではなく、母たるマレフィセントのキスでした。アナ雪の成功によって、こういった大胆な試みに自信がついたのでしょう。もったいないと思ったのは、前者のように立体的な葛藤や和解、互いへの理解というディテールな物語がなかったことです。

すべての焦点はマレフィセントに当てられており、ヒロインであるマレフィセントのナラティブをたどっているので、私たちは物語を見るようになります。私たちは哀れな妖精マレフィセントに共感しながら物語を見ることになります。悪役であるステファンの話が充実していないのも、私たちがマレフィセントの感情をそのまま共有するようになる一つの理由となります。ステファンが絶対的かつ平面的な悪役となるがゆえに、私たちはマレフィセントに貼られていた「魔女」というレッテルをはがし、罪のないオーロラに邪悪な呪いをかける彼女の味方になってもよい理由づけを見つけられます。悪女が悪女ではないことを説明するために多くの時間を使いすぎたがゆえに、新たな悪役の人間の男・ステファンの物語は貧弱になります。ただでさえ、マレフィセントは魔力的で超人的な力を持っているのに、彼女の存在感をさらに大きくする方向に進んだ脚本と演出は、悪役のステファンとの対立に緊張感がなくなる結果をもたらします。「ディズニー史上最も邪悪な魔女」というキャッチフレーズを全面に押し出したこの映画には、魔女はおらず、愛を求めていた傷ついた妖精がおり、彼女の傷ついた純情な心が起こしうる恐ろしい過ちとそれを癒すオーロラへの「真実の愛」の物語があるのみでした。

ここで私たちはこの映画の目標は何だったのだろうかという疑問を持たざるを得ません。邪悪な魔女を主人公に立てるという破格的な設定から始まったにも拘わらず、これといった斬新さを感じないのは、邪悪な魔女と呼ばれたマレフィセントを弁護するための映画のように思えるからです。ディズニー的勧善懲悪のファンタジーを壊したアナ雪と比べざるを得ません。アナ雪の物語を簡略化させ、その形にマレフィセントの登場人物を当てはめたような感じがします。

マレフィセントとオーロラの関係に焦点を当ててみるならば、これは破格的な試みではなく、ディズニー式家族ドラマの典型のように思えます。『アナと雪の女王』と比べられる点は多いと思いますが、『アナと雪の女王』から味わえる深みはありません。否でも応でもディズニー映画らしい感動と面白さがあり、それ以上でもそれ以下でもない映画でした。危機はごく簡単に解消され複雑な葛藤もなく、単純なストーリーの展開はディズニー映画の強みと弱みを両方表しています。

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ディズニーの技術と共にスクリーンの上で現実的なものとなるお伽話の世界は、ディズニーならではの見どころを見せてくれます。特に中世を思わせると同時にファンタジー要素も強い森の演出はすばらしかったです。美術監督として『アバター(2009)』、『アリス・イン・ワンダーランド(2010)』、『オズ はじまりの戦い(2013)』などに参加して高い評価を得てきたロバート・ストロンバーグの監督デビュー作でありますが、他の作品で彼が見せてくれた幻想的なビジュアルはこの映画においても健在でした。彼が映し出すファンタジー空間は、お伽話の世界と現実の世界の間のどこかにあり、リアリティと非リアリティが混ざり合うような、何とも言えぬ魅惑的な空間です。

映画、『マレフィセント』―。『アナ雪』以前のディズニーなら高く評価したかもしれませんが、型を破ったと思いきやまた違う型に自らをはめ始めたディズニーには、もどかしさを感じずにはいられなかった映画です。ですが、軽く見る分にはおもしろい映画でもあります。それなりに感動もあり、笑いもあります。ディズニー映画ならではの面白さと教訓があって、現実世界から離れられるファンタジー世界に導いてくれますから。

p.s. 男女の「真実のキス」はもう見れない?―次のディズニー作品にかける期待

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『アナと雪の女王』、『マレフィセント』の成功によって、私たちは、しばらくの間―白馬の王子様とお姫様の「真実の愛のキス(True Love Kiss)」を見ることができなくなりそうです。『アナ雪』が姉妹愛を真の愛の象徴として立てましたが、マレフィセントは、血のつながりはないが、その愛は母性愛に似ています。マレフィセントは、誰かには邪悪な魔女かもしれないが、オーロラには守護天使のような存在なのです。しかし、アナ雪の二番煎じのような感じがして、前作より感動は弱まります。男女の愛を物語るディズニーファンタジーが少し恋しくなるような気さえもしました。

そういった意味で次のディズニーの作品がとても気に在りますね。豪華なスタッフとアナ雪の七光りのゆえに今回は高い人気を得ているようですが、またこういった家族愛をパターン化して描くならば、いい評価は期待できないでしょう。またかつての男女の愛のファンタジーを単純化させる形に戻るわけにもいかないでしょうから、悩ましいところでしょうね。『アナ雪』を新たなディズニーワールドの原点にするならば、『アナ雪』の成功、それが、家族愛というメッセージだけでなく、物語を展開していく力にあったことを、ディズニは決して忘れてはいけないだろうと思います。


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☆『マレフィセント』上映映画館

☆映画概要

【映画名】
マレフィセント(原題:Maleficent)
【監督】
ロバート・ストロンバーグ
【製作】
ジョー・ロス
【製作総指揮】
アンジェリーナ・ジョリー
マイケル・ビエイラ
ドン・ハーン
パラク・パテル
マット・スミス
サラ・ブラッドショー
【脚本】
リンダ・ウールバートン
【撮影】
ディーン・セムラー
【美術】
ゲイリー・フリーマン
ディラン・コール
【衣装】
アンナ・B・シェパード
【音楽】
ジェームズ・ニュートン・ハワード
【編集】
クリス・レベンゾン
リチャード・ピアソン
【製作会社】
ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ
ロス・フィルムズ
【配給】
ウォルト・ディズニー・スタジオ
【出演者】
マレフィセント ・・・ アンジェリーナ・ジョリー
オーロラ ・・・ エル・ファニング
ディアヴァル ・・・ サム・ライリー
ステファン ・・・ シャルト・コプリー
ノットグラス ・・・ イメルダ・スタウントン

アンジェリーナ・ジョリーのために作られた魔女不在の魔女物語『マレフィセント』―『アナと雪の女王』との比較から|『マレフィセント(Maleficent, 2014)』レビュー” への1件のフィードバック

  1. この 映画ほんとおもしろくなかったですねー。壮大な映画、莫大なお金をかけてアンジェリーナジョリーの自己満で満たして欲しくなかったです。アンジェリーナジョリー個人の価値観を押し付けられた感じがしました。アナと雪の女王のチームにまたがんばってほしいです。

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