19世紀パリジエンヌの偶然な一瞬をとらえた鋭い視線|エドガー・ドガ

幼い頃、一枚の絵が私の目に留まりました。貪るような恍惚と不安。それは、華やかに咲いては散り去っていく花火のように美しくて危うく瞬間が描かれたドガの「エトワール」が私に伝えた強烈な感覚でした。

踊りの花形(エトワール、又は舞台の踊り子)  エドガー・ドガ、 1876-1877年頃 (L'étoile de la danse (L'étoile ou danseuse sur scène)) 60×44cm  パステル、厚紙
踊りの花形(エトワール、又は舞台の踊り子)
エドガー・ドガ、 1876-1877年頃
(L’étoile de la danse (L’étoile ou danseuse sur scène))
60×44cm
パステル、厚紙

ドガの代表作とも言えるこの絵を見ると、まだ幼かったごろの私のショックが蘇ります。世の中にこんなに美しいものがあるだろうかと思いました。私があの日感じた快感と不安と悲しみが交わった感情は、危なっかしく片足で立っているバレリーナの今にも壊れそうな美しさのゆえでしょうか。それとも彼女を盗み見する人の瞬間的な快楽や罪意識のゆえでしょうか。後にドガについての本を読んだりこの絵の背景なども知るようになりましたが、それでもあの頃感じた刹那の感覚は頭で知った知識よりも格別です。ドガのバレリーナの絵については後に詳しく見ることにして、今日はドガの「女性用帽子屋」と「アプサント」を見てみましょう。

生々しい生の瞬間を描いた画家、エドガー・ドガ

エドガー・ドガ(Edgar Degas, 1834 -1917)の絵は、自然光ではなく室内の人工的な光に注目し、風景ではなく当時の社会の一面をキャンバスの上に写し出すことを好んでいます。自然光の溢れる野景の風景を好んだ他の印象派とは違いますね。

ドガの室内や人工的な光を好んだ絵に関しては様々な説があります。中でも有力な理由の一つとしては、緑内障を患っていたため光に露出されるのを避けたという説があります。晩年には視力を完全に失い、もう一つの目の視力もほぼ同じくらい深刻だったといいます。彼の絵は、色鮮やかな外光派の絵とは違って、パステル色です。

もう一つ、生まれながらの都市人であったドガにとって、自然というものが興味の対象になりえなかった可能性も排除できません。彼は19世紀のパリ人の生活をモチーフに数多くの作品を描きました。競馬、踊り子、音楽家、洗濯女、浴女といった都市的な生を営むパリ人、中でも女性を好んで描きました。生々しい人物を描くことによって彼らが生きる現実を描こうとしたからです。

古典主義への強い関心を抱いていたドガは、過去と現在をつなぐ芸術を夢見ていました。彼は印象主義の画家と交流し、印象派展にも積極的に参加しました。しかし、印象主義の画家とは異なる点がたくさんあります。ドガは自分が印象派画家として分類されることを快く思っていなかったそうです。確かに光そのものへの関心やある風景の偶然な瞬間を捉えようとした点を除くと、ドガは印象主義というより写実主義に近いと言える部分があります。私が感動するのは見える所を移すことによってその現実の中身を描こうとしたところです。

彼が好むであろうが好まないであろうが、私はドガを印象派の画家だと思います。私にとってドガの特別さは、光に包み込まれている「偶然な瞬間」を逃さないドガの視線を信じるからです。 21世紀の私たちは、ドガの視線を借りて19世紀のパリを見ることができます。私たちの前に広がるその風景には、そこに生きた人々の人生が立ち現れます。ドガの視線を通して、私たちは19世紀パリのある瞬間を生きることができます。素晴らしいですね、彼の眼は。

ドガの絵「女性用帽子屋」です。偶然な瞬間に見えるこの絵において、予想しなかった被写体の動きが無心に映りだされています。

エドガー・ドガ、「女性用帽子屋」

「婦人用帽子屋(The Millinery Shop)」 エドガー・ドガ、 1885年  シカゴ美術館 100 x 110.7 cm 油彩、キャンバス
「婦人用帽子屋(The Millinery Shop)」
エドガー・ドガ、 1885年
シカゴ美術館
100 x 110.7 cm
油彩、キャンバス

 

帽子を選んでいる女性の深刻な面持ちを見ていると、まるで私たちも彼女と一緒に帽子屋にいるような錯覚をします。「どの帽子がもっと似合いそう?」と聞かれてしまいそうな気がします。このように、ドガの絵は、写真を眺めているような錯覚を呼び起こします。しかし帽子を選んでいる女性を偶然に見かけ、そのまま描いたわけではありません。むしろ、考え込まれた構図を通してキャンバスの上に帽子を選んでいる女性の瞬間を再現させたと言ったほうが確かです。

ドガが描き出す「偶然な瞬間」は、深く意図され、細かいところまで設定された絶妙な計画の産物です。彼にとって芸術においては、例え細やかな動きでさえも偶然的ではありません。(“In art nothing must appear accidental, even a movement.”)ゆえに絵を描くときは、犯罪計画と同様に巧妙な計画を要求されると彼は言いました。

ある作品が芸術となるためには、独特な画家の視線が求められるのもその理由です。画家の目が留まるある瞬間が作品として描き出される。その時初めて些細なある瞬間は固定され芸術となります。芸術作品には、スナップ写真よりも現実的な世界が収まっています。ドガは何の先入観なしに現実を見、その現実をキャンバスの上で再現しています。

お陰で私たちは瞬間を捕捉した写真のような19世紀パリジェンヌの日常を眺めていることが出来ます。彼は写真に関心が多かったし、彼の視線とカメラのレンズは似ているところがあるとも言えます。彼はスナップ写真のように偶然な瞬間の絶妙性を描く画家でした。

ドガの絵の重要人物は、彼独特な構図のゆえに、キャンバスの片隅に何気なく置かれている人を描いたのもあれば、身体の一部が切られて描かれることさえもあります。この帽子屋の絵には、壁の飾りや他の雰囲気は省略されています。それは帽子を選んでいる女性と帽子に私たちの関心を集中させるためでしょう。このような構図は破格的な試しでした。このような試しの例の一つが「アプサント」です。

エドガー・ドガ、「アプサント(カフェにて)」

「アプサント(カフェにて)」 エドガー・ドガ、1875-76  オルセー美術館(パリ) 92×68cm   油彩、キャンバス
「アプサント(カフェにて)」
エドガー・ドガ、1875-76
オルセー美術館(パリ)
92×68cm
油彩、キャンバス

ドガが描いた「アプサント(カフェにて)」のおかげで、私たちは1876年パリのあるカフェで気だるそうに座っている女性と男性を眺めることが出来ます。恐らく一緒にこのカフェに入ったはずの二人の間には、互いに対する親密感や関心が見当たりません。当時、最新流行であっただろう帽子をかぶった女性は疲れ切った顔をしています。倦怠感とマンネリにあきれた様子です。男も習慣的にパイプを加えて呆然としています。反対側に互いの視線を向けている彼らはグラスに手を出そうともしません。彼らの隣にあるテーブルも、彼ら同様、彼らとは無関係で、ただそこに置かれているだけです。

絵の題名でもあるアプサントは、女性の前に置かれた飲み物の名前で非常に度数の強いお酒です。「禁断の酒」、「麻酒」とも呼ばれるアプサントは、ワインより安価で強いお酒だったために、労働者階級で愛飲されていました。 男性の前に置かれているのは炭酸入りのアイスコーヒーです。彼らがカフェに座っているこの時間は朝です。朝からこのような風景を造っているのは彼らは社会から疎外された階層であることを物語っています。

この絵の構図をみると手前に置かれたテーブルの一部の向こう側にドガが座っていることが分かります。彼らを眺め、スケッチしているドガの姿が鮮やかに浮かびます。私たちはドガの視線を借りてこの男女を眺めます。この男女は、通り過ぎていく客にすぎないのかもしれません。恐らく昨日は別の人らがそのテーブルに座っていただろうし、この人らが帰った後は別の人が座るでしょう。たまたまカメラのレンズが二人に向けたのと同じようにドガの視線がそこにあっただけです。揉み消されている彼らの体と背景の輪郭線のようにやがて男女は姿を消すでしょう。

デッサンに優れたドガは構図にも優れていました。彼の構図は彼の視線に取られた人物の関係さえも微妙に伝わっています。被写体の一部を取り除いてしまう構図は浮世絵の板画の影響です。ドガの絵の被写体はよく身体の一部が取り除かれています。パイプを持っている男の手もそうですね。

四角のテーブルの線が彼らの危なっかしい生を脅かすかのように見えるのは私だけの錯覚でしょうか?ジグザグのように繋がっているテーブルの線に閉じ込められた二人を見ていると切なくなります。足のないテーブルに囲まれて閉じ込められた彼らは、永遠にそのカフェから出られないかもしれません。突破口のない生活に閉じこまれて希望や輝きのない、貧しい毎日に囲まれた彼らの生が映し出されているような気がします。彼らを包み込む色はアプサントと同じ緑色です。

安っぽいカフェに座った二人の男女の距離はアプサントのように強いアルコールを飲んでも慰められない彼らの日常でしょう。それをキャンバスの上に再現したドガの絵は写真よりもリアルです。非現実的に揉み消された境界線があるにもかかわらず、写真を超えるリアリティを感じます。アプサント色に染まった背景の色も、彼らの孤独な生がこれからも続くであろうということを示しているような気がします。そしてとても悲しくなります。

19世紀パリジエンヌの偶然な一瞬をとらえた鋭い視線|エドガー・ドガ” への2件のフィードバック

    1. 匿名様

      コメントありがとうございます。そして返信遅くなりすみません。
      鏡に映る彼らの暗い影は彼らの暗い運命を暗示しているようですね。つらい気分になります…

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