私たちに実存的な問いを投げかける『キャプテン・アメリカ2』|『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』レビュー③

  先日、アメリカという国家を超えた「キャプテン・アメリカの普遍的な価値」について語らせて頂きました。(アメリカを超えて世界のヒーローに飛躍する「キャプテン・アメリカ」なぜキャプテン・アメリカはシールド(S.H.I.E.L.D)を解体してしまうのか参照)キャプテン・アメリカは、『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』において、新しいヒーロー像を見せてくれました。キャプテン・アメリカは、アメリカの現実を投影しながら、アメリカの理想的姿である「自由と正義」のために戦うヒーローです。それは、彼がアメリカだけに限定されない人類共通の価値のためのヒーローであることを意味します。そして普遍的リーダーとしての正当性を得た彼は、再び自分の理想の組織を再構築するための一歩を踏み出します。一言でまとめるならば、この映画で描かれたキャプテン・アメリカは、「アメリカを超えて、アメリカのあるべき姿に回帰することを呼び起こす精神的リーダー」なのです。

キャプテン・アメリカを通して宇宙へと広がるマーベル・シネマティック・ユニバース

  マーベル・ユニバースを理解することにおいて、キャプテン・アメリカを理解することは非常に重要です。なぜなら、マーベル・ユニバースの出発点であったキャプテン・アメリカは、マーベル・ユニバースの中心軸となる精神そのものだからです。従って『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』は、キャプテン・アメリカの今後の方向性を決定づける映画でもありますね。マーベル・シネマティック・ユニバースが追求するヒーローたちの世界の方向性を示し、マーベル・シネマティック・ユニバースのあり方を世に宣言しているからです。

  コミックから映画に移ったマーベル・ユニバースは、アメリカという国家だけにとどまらず、世界へ、そして宇宙へと広がらなければなりません。ここで幾つかの問題が発生しますが、中で最も大きな問題は、ヒーローたちだけでなくマーベル・スタジオ自らが、自分たちとアメリカの関係性を定義し直さなければならなくなったことでしょう。

  マーベル・ユニバースもキャプテン・アメリカ同様、アメリカを基にして作られた仮想の世界です。それは、アメリカン・コミックの歴史(アメコミ歴史参照)や、アメリカの名を背負っているキャプテン・アメリカをリーダーにしていることを見ても明らかでしょう。また、マーベル映画は、アメリカから始まりアメリカ人の手で作られる映画であるため、「アメリカらしさ」を完全に排除することは不可能です。

  しかし、マーベル・ユニバースは、マーベル自身の根源であるキャプテン・アメリカを通して自分たちのアイデンティティを確立し、国家や地域に縛られないスーパーヒーローの宇宙を築き上げます。自分たちが描く世界は、アメリカらしいかもしれないが、それはアメリカに限らず、正義が実現できる世界ならばどこでもよいのだと訴えるのです。映画の世界を通じてですが正義のためなら、自分たちの国、組織を解体し、新たに超国家的な組織を築き上げるというのです。それが端的に示されるのが、『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』です。

 

私たちに実存的な問いを投げかける『キャプテン・アメリカ2』

  前回の記事で述べたように、キャプテン・アメリカにとって、究極なるエデンの地は、アメリカの建国理念となったピューリタン精神です。正直、私はアメリカとマーベル・ユニバースを完全に分ける必要性をそれほど感じません。キャプテン・アメリカおよびマーベル・ユニバースに「アメリカの愛国主義」、「英雄主義」というレッテルを貼って映画を見ることもよくないと思います。それらをまったく考えずに見ることはよくないと思っているのも事実であることも否定出来ませんけどね。私はキャプテン・アメリカがアメリカから完全に独立したヒーローとなることがよいとも思っていませんし、それを強要する気もありません。アメリカ(=精神としてのアメリカ)を失ったキャプテン・アメリカは、キャプテン・アメリカとして有り続けられないからです。

  そのため、私はキャプテン・アメリカをアメリカから分離せずに、普遍的ヒーローとして進化させたマーベルに感心せざるを得ませんでした。マーベルは、キャプテン・アメリカのアイデンティティを、自由と言う名の正義を守るヒーローとして描き、アメリカのみに縛られない普遍的ヒーローへと進化させました。しかしキャプテン・アメリカが重要視する価値は、アメリカの建国精神そのものであるため、アメリカ色が強いという批判から自由ではありません。私がこの映画に感心したもっと根本的な理由は、キャプテン・アメリカを通して私たちに実存的な問いを投げかけるところです。

  古典的なキャラクターであるキャプテン・アメリカに、映画『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』は、彼がまとった理想的価値が無になる最大の試練を与えます。彼が愛しやまない組織のアイデンティティーを疑わせ、彼の信念を揺るがすのです。

© 2014, Marvel Inc. ALL RIGHTS RESERVED.
© 2014, Marvel Inc. ALL RIGHTS RESERVED.

  スティーブ・ロジャースは、自分のためではなく、自分の共同体のために生きてきた人物です。その共同体とは、20世紀においては国家であるアメリカ、氷漬けから目が覚めてからは、国際平和維持組織「シールド」です。彼が属した共同体は、彼の価値を代表するものでもありました。彼はある理想に向かう共同体の一員であることにおいて、自分の価値を認識することができる人物であります。キャプテン・アメリカという名前そのものは、国家のための個人として彼が規定されたことを意味します。もともとキャプテン・アメリカは、アメリカが戦争で勝つために作られた超人兵士です。そのようなキャプテン・アメリカに、映画は近代的な質問を投げかけるのです。「あなたが大切にしてきた組織は、果たしてあなたが知っているその通りなのか」と。

  実際、戦争に参加した多くの人々は、自分の国のために動く一員であることで自分の価値を認識しました。個人としての自分よりも全体の一員である自分という考えが強かったのです。しかし、戦争が終わり、彼らを動かしてきた、あるいは支えてきたすべてが無になります。全体性は悪とされ、理念は危険なものとされ、自由な個人として生きることを強要されるのす。第2次世界大戦の時期に生まれ、40年ぶりに目が覚めたキャプテン・アメリカは、自分の生き方そのものが覆される危機に直面した過去の私たちの祖父祖母世代の悩みを代弁しています。しかも、スティーブ・ロージャスの場合、友達と悩みを共有できるわけでもなく、全体性解体の過程を経験せずに現代に送られた過去の人です。というのは、彼は、この世から完全に孤立した個人として、この問題に立ち向かわなければならないことを意味します。

  スティーブ・ロジャースは、キャプテン・アメリカ(ナチスからアメリカの自由を守るために戦うヒーロー)として存在していた時代から40年も過ぎた戦争なき時代に目を覚まします。というのは、アメリカの平和のために存在していた彼の本質あるいは使命を失ったことを意味します。彼は自分の本質でもある人生の目的を失い、40年前に築いた自分を壊されたままにただ存在するだけになりました。新たに自己を確立しなければならなくなったキャプテン・アメリカは、国際平和維持組織「シールド」のためのエージェントになることで自己を規定しようとします。しかしそれは非人間的な、物質的な在り方です。自由の精神そのものであるキャプテン・アメリカらしくない在り方ですね。

© 2014, Marvel Inc. ALL RIGHTS RESERVED.
© 2014, Marvel Inc. ALL RIGHTS RESERVED.

  しかし、スティーブ・ロジャースの内面では、「自分はなぜ存在するのか」という問いがあるように見えます。映画の前半部で、秘密主義の下、ブラック・ウィドウと自分に違う任務を遂行させたニック・フューリーに不満を持つ場面や、シールド基地内の武器施設「プロジェクト・インサイド」に反発する場面を考えてみましょう。キャプテン・アメリカがうっすらと自分のニック・フューリーのやり方(組織のやり方)に疑問を持ち始めたことがわかりますね。また、第2次世界大戦当時のキャプテン・アメリカの業績を展示しているスミソニアン博物館に足を運んで自分の歴史を振り返るシーンや、かつての恋人(ペギー・カーター)に「自分がやっていることが正しいのかわからなくなってしまった」と悩みを打ち明けたりする場面もそうです。キャプテン・アメリカは、シールド内の異変に気づいていますが、彼の心のどこかには、自分が所属する共同体を信じたいという気持ちがあり、それが勝っている状況です。

  そんなキャプテン・アメリカが自分の組織を懐疑するようになる直接的なきっかけになるのは、シールド内で起こる様々な事件です。スティーブ・ロジャースは自分が認めたくなかった事実、つまり自分の本質、あるいは使命が、アメリカやシールドといった組織を守るためではないことを受け入れます。そして彼は、キャプテン・アメリカではなく、一人の人間、スティーブ・ロジャースとして悩み始めます。

  全体の一員としての認識し、確立していた自分の存在価値が無になり、新たに自分の本質を完成しなければならないキャプテン・アメリカ。彼は自分を支配していた「キャプテン・アメリカの存在意義(アメリカをナチスから守る)」を失うことで、人間として実存することができるようになりました。しかしある意味で彼は初めて人間になったといえるのかもしれません。今までのキャプテン・アメリカは、集団の正義や自由のための精神だったからです。この映画は、スティーブ・ロジャースが絶え間ない不安の中で、ピューリタン精神に基づくヒーロー、キャプテン・アメリカという自分の在り方を再創造していく過程を上手く描いています。

  古いキャプテン・アメリカとしての自分を捨てたスティーブ・ロジャースは、自分が目指していた正義(自由)を共同的枠組みから開放させ、真の自由を追求します。彼はもう国家や組織に縛られず、もはや幻になってしまった「人間の自由と尊厳が実現される正義」という目的地に向かって戦うのです。それが自分が求めてきた理想であり、国家や組織に囚われることのない価値だということを気づいたからです。自分が守るべきものが自分が所属している組織ではなく、組織を根本から支える理念だということを知ったために、自由を失った名ばかりの国際平和維持組織「シールド」を解体することができたのでしょう。

  幸いに、キャプテン・アメリカは、長年氷漬けになれたため、新たな思想で組織全体の理念を解体した世界とは無縁です。昔のままに組織の理想的精神としてのアイデンティティを強く保っています。唯一歴史によって解体されなかった理想的な組織的価値観であるキャプテン・アメリカは、腐敗した組織を解体させ、新しい組織の結成の始まりへと導こうとします。かつてアメリカを建てたピューリタンたちのように。

  重要なのは、彼は一人の人間として悩みながら、組織より先立つ自分の真の価値、本質、あるいは使命に気づいたということです。繰り返し言いますが、彼がキャプテンになれたのは、ピューリタン精神に基づく強い精神力、自由の実現への強い意志を持った人間だからです。長年、組織への忠誠によって忘れてしまっていた自分の本当の存在意義を取り戻し、21世紀を生きる新しいキャプテン・アメリカとしての自分を在り方を確立したスティーブ・ロジャースは、真の自由を実現するヒーローとしての自分の使命に気づきます。もう物として存在するキャプテン・アメリカはいません。自分の使命に積極的に立ち向かうキャプテン・アメリカは、輝かしい一人の人間でもあります。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中