(※この記事は、アメリカを超えて世界のヒーローに飛躍する「キャプテン・アメリカ」の続きです。)
キャプテン・アメリカは、アメリカの精神である
元々正義感は強いが、体が弱く、何回も兵士の選考に落ちてしまう青年だったスティーブ・ロジャース。当時の彼は、キャプテン・アメリカが生まれた時代のアメリカに非常に似ています。スティーブ・ロジャースがキャプテン・アメリカとして活躍する物語は、アメリカの歴史、いや、アメリカの理念の歴史です。


国民的英雄になるスティーブは、幼い頃両親を亡くした体の虚弱な、しかし心は愛と正義、責任感に満ちた青年です。病弱な体の故、徴兵基準に満たず兵士になれないスティーブは、州を変えながらなんどもチャレンジしますが、それは兵士になって愛するアメリカの戦争を終わらせたかったためです。誤解してほしくないのは、彼にアメリカへの愛国心よりも、アメリカが追求すべき価値が先行するということです。彼はナチスの悪行を終わらせるために戦争に参加したがるのですが、それはナチスを滅ぼし、アメリカの権威を高く上げたいためでなく、自分が所属した国家(組織)への責任を果たし、正義を実現するためでした。彼は敵を殺したいとなどは毛頭も思いません。
兵士選考に何度も繰り返し落ちながらも、スティーブは真剣に挑戦し続けます。彼のそのような姿勢は、アメリカ陸軍のチェスター・フィリップス総督の興味を引き、極秘の「超人兵士計画」による人体実験に参加するようになります。ワシントンの実験室に連れていかれて超人兵士血清を投与されたスティーブは虚弱な体から筋肉質の男らしい体の持ち主になりました。そしてナチスによるアースキン博士の死によって、彼は唯一の正式な超人兵士になり、アメリカのキャプテンとして、尊敬される英雄になりますね。
理念を失ったアメリカおよび世界よ、それは自由ではなく恐怖だ!

アメリカの危機論が台頭されているとはいえ、いまだ、アメリカは世界をリードする超先進国です。スティーブ・ロジャースがキャプテン・アメリカとなる過程は、世界大戦によって成長したアメリカを表しているようにも見えます。ピューリタンたちによって始まった自由の国、アメリカの歴史はそれほど長くなく、世界大戦以前、力を持っていた西ヨーロッパに比べると、若く虚弱な国家でしたからね。しかしみなさんもご存知のように、アメリカは驚くべき発展を成し遂げ、世界のキャプテン格になりました。その根底には、アメリカが目指すべき理念、自由と正義があったとキャプテン・アメリカを通じて宣言しているのかもしれません。キャプテン・アメリカが示す理想的リーダーの姿は、アメリカが目指すべき模範的姿でもあるし、アメリカが帰らなければならない初心、建国理念、ピューリタン精神を象徴的に示しているのでもあります。
自由と正義という理念を貫き通すキャプテンの強さ
優等生タイプのスティーブ・ロジャースは、一見、規範を重視する人のようにも見えます。しかし、これは大きな誤解です。彼は誰よりも自由を愛し、責任感の強い心熱い青年です。マーベルのヒーローの中でもキャプテン・アメリカは国家主義、英雄主義を最も露骨に表しています。それはアメリカとして代表される共同体の象徴性です。しかし、彼らが求める最も大きな価値は、正義を追求する自由という理念です。だから彼は永遠に若く、健康的な姿、人間の理想的な身体を持って表されます。

キャプテン・アメリカがキャプテンであるべき理由は、彼のスーパーパワーによるものでも、90歳という年齢によるものでもありません。それは、キャプテン・アメリカ自身が、正義、自由の表象であり、それゆえブレない強い精神力を持っているからです。彼は、イデオロギーを失いつつあるアメリカ、そして世界に告げます。「これは自由ではありません。恐怖です」と。
超成長している中国の成長具合は、かつての新生国家であったアメリカの発展過程と非常に似ています。アメリカはもう超強大国として有り続けられないかもしれないという恐怖に襲われている中、キャプテン・アメリカの復活は非常に意味深いです。なぜなら、キャプテン・アメリカが置かれた状況は、アメリカの現状と重なる部分が多く、キャプテン・アメリカの悩みはアメリカの悩みのようにも見えるからです。
オバマ政権の大きな特徴は、以前の政党が持っていた理念を捨てたことです。彼は自由主義や反自由主義などといった理念を捨て、徹底的に脱イデオロギー化を図りました。しかし現実は?
余談ですが、私は「脱イデオロギー」や「相対主義」に危機感を感じます。それは新しい全体主義でもあり、新しいイデオロギーのように思えるからです。多様な考えが自由に議論される今日ですが、軸を持たず相対的にならねばならないという強迫観念に自らを閉じ込めたように見えます。もちろん行き過ぎたイデオロギーや偏ったイデオロギーは危険ですが、イデオロギー自体は悪くないと思います。イデオロギーを持たない人間は欲望に振り回されます。また、脱イデオロギーの妄想を利用する国家権力や資本に振り回されやすいです。イデオロギーは必要悪でありながら同時に必要善でもあると思いますね。
『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』は、アメリカの力、その根底にある精神(正義と自由)を語っています。スティーブ・ロジャースは、人間の身体能力を最大限に引き上げた能力と愛国心、キャプテンというニックネームにふさわしい道徳性を持ったスーパーヒーローです。彼が祖国アメリカに忠誠を誓うのは、盲目的な愛国心のゆえではありません。
キャプテン・アメリカは20世紀のアメリカの理念でもあった自由と正義のために、ナチスの表象であるヒドラという組織と戦いました。しかしキャプテン・アメリカが氷漬けで眠っていた間、世界は大きく変わりました。今や、彼はテロ、ハイジャックと戦いアメリカやヒーローたちを集結させた国際平和維持組織「シールド(”S.H.I.E.L.D”、以下シールドと称する)」の平和を守るために戦わなければなりません。大きくなった「シールド」には、外部からの危険に対応すべく、多くの権力が集中しています。相手が悪意を持ったらその意図を予測し、制圧しうるシステムを構築しています。(ちなみに、この「シールド」といった武器施設を作ったのはアイアン・マンのトニー・スパークです。)「シールド」の長官、ニック・ヒューリーは、このようなビジョンをキャプテンに自信満々な顔で語ります。スティーブ・ロジャースは、自分が属する組織の正義と自分が思い描く正義の違いに思い悩みます。彼が眠っていた間、アメリカの精神は薄れ、様々な科学や資本という権力に惑わされていたのです。
そんな中、謎の暗殺者、ウィンター・ソルジャーにニック・ヒューリーが襲われる事件が起こります。ニック・ヒューリーが最後に訪れたのは、キャプテン・アメリカであるスティーブ・ロジャースの家です。そこでニックからUSBを渡されたスティーブがシールドで何が起こっているのか探ることでこの物語は始まります。

組織の枠組みを壊すことによって
真のキャプテンになるスティーブ・ロジャース
国際平和維持組織という名の「シールド」は、いつの間にか、ヒドラという敵に浸食され、巨大な陰謀組織になっていました。キャプテン・アメリカは、シールドとヒドラーの覇権争いに巻き込まれ、自分の組織の人々、同僚たちに裏切られ、誰を信じればいいかわからない現実に置かれます。それは、正義と権力の間でさまよっている今日のアメリカの姿のようにも思われます。訳も分からない裏切りの中で、スティーブ・ロジャースがとる行動は、再び人を信じ、同僚のためには命も捨てられるファルコンと、かしこくて美しいブラック・ウィドウと共に巨大な勢力のヒドラ、それと一体化してしまった自分たちの愛しやまない組織共同体であるシールドを壊していくことです。彼は、自由と定義づけられた正義を守るために、二つの勢力の覇権争いに積極的に自らを巻き込み、自分が所属する共同体を解体します。星条旗のコスチュームを着て、体と一体化したような盾を持って。
大きなことを成し遂げてからも悪の標的になり、身分と顔を仮面で隠せねばならない他のヒーローと違って、キャプテン・アメリカは堂々と顔を出して、自らの存在を明らかにします。敵に追われているときですら、帽子はかぶることはあっても堂々としている姿は変わりません。自分の身分を隠さず、「シールド」の放送室に入り、「シールド」の人たち、そしてその中にいる敵である「ヒドラ」に、「シールド」と自分が置かれた状況を説明します。キャプテン・アメリカが堂々としていられるのは、彼が「本当の正義」を貫こうとしているからかもしれません。彼は星条旗が書かれたスーツを着ながらも、批判的にアメリカや組織に立ち向かい、集団によって個人の自由が犠牲されることを許しません。彼は、誰よりも早い判断と決断力で個人の自由を守るヒーローです。そのため、キャプテン・アメリカは、人を殺すための銃や剣、矛ではなく、防衛のための武器、盾を持って敵に立ち向かいます。
星条旗が剥がれた盾のポスターからわかるように、キャプテン・アメリカは、彼がまとっていた国家、共同体といった外部的要素を脱ぎ捨てました。そして自分の本来の信念、価値を顕にします。逆説的ではありますが、彼は自分が守るべき共同体を捨て、自分の信念を貫くことで、自らの存在の原点へと回帰し、真のリーダーとして生まれ変わります。
真のリーダーとなったキャプテン・アメリカが目指す「失われたエデン(以前の記事参照)」は明確です。「自由という名の正義が実現される場所」!かつてピューリタンたちが夢見て建設した理想のアメリカの実現です。キャプテン・アメリカは、彼を制限するアメリカという国家を脱ぎ捨てることで、アメリカおよびマーベルのキャプテンの座を確固たるものにします。そしてリーダーであるキャプテン・アメリカは、今日のアメリカに告げるのです。「初心(ピューリタン精神)に帰れ」と。それが、アメリカが世界のリーダーで有り続ける道であると。

[…] 『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』の監督であるルッソ兄弟(アンソニールッソ&ジョー・ルッソ)は、このジレンマを解決するために、キャプテン・アメリカのアメリカっぽさを、人類共通の価値(正義、自由)に置き換えます。映画の物語はヒドラと「シールド」の覇権争いといった政治スリラーとして仕立ていますが、物語の中心にいるキャプテン・アメリカは、アメリカという国家に帰属されない普遍的価値である自由と正義を追求します。こうしてキャプテン・アメリカは、アメリカの愛国主義のみに縛られない普遍的なヒーローへと生まれ変わります。同時に、普遍的な正義といったキャプテン・アメリカの本来の価値を描くことによって、スティーブ・ロジャースが愛しやまない祖国、アメリカに、「アメリカの本来のあるべき姿」、彼らが戻るべき「アメリカの本来の精神」を提示します。なぜなら、キャプテン・アメリカが守ろうとしている普遍的価値である自由と正義は、かつてアメリカの先祖たちが夢見ていた理想であり、アメリカという国家が作り上げた理念でもあるからです。これについてはまた次の記事で考えてみましょう。 […]
[…] 先日、アメリカという国家を超えた「キャプテン・アメリカの普遍的な価値」について語らせて頂きました。(アメリカを超えて世界のヒーローに飛躍する「キャプテン・アメリカ」、なぜキャプテン・アメリカはシールド(S.H.I.E.L.D)を解体してしまうのか参照)キャプテン・アメリカは、『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』において、新しいヒーロー像を見せてくれました。この映画において、キャプテン・アメリカは、アメリカの現実を投影しながら、アメリカの理想的姿である「自由と正義」のために戦いました。そうすることによって、彼は人類共通の価値を持った普遍的なヒーローへと進化しました。普遍的リーダーとしての正当性を得た彼は再び自分の理想の組織を再構築する一歩を踏み出します。一言でまとめるならば、この映画で描かれたキャプテン・アメリカは、「アメリカを超えて、アメリカのあるべき姿に回帰することを呼び起こす精神的リーダー」です。 […]