ここで簡単にクリストフについて紹介したいと思います。彼は「Frozen Heart」が歌われる映画の投入部で氷を掘っている人たちに魅了されていた少年です。氷をほって小さなトナカイ・スヴェンに乗って去っていった彼はその後、氷で生計を立てるようになったのです。彼はアナが死にかけたあの日、また登場します。幼いクリストフは、地面を凍らせながら歩いている人たち(エルサと家族)に出会い、後を追います。家族が行き着いたのは、普段石の形をしているトロールたちのところでした。クリストフは、トロールたちがアナを治してあげる場面を興味津々な目で見ています。相方のトナカイ、スヴェンと共に。
スヴェン=クリストフのもう一つの自我

クリストフもエルサと同じようにマイノリティーの一人です。『アナと雪の女王』において、マジョリティーは夏のイメージで表れています。(「孤独なマイノリティであるエルサ」「オラフはなぜ夏に憧れるのか?」参照)彼は冬に属している人の中では珍しく冬の美しさを知っています。エルサが冬の美しさを知らず自己否定に陥っていたのとは違いますね。だからといって、クリストフがエルサより成熟しているとは言い難いです。クリストフは、冬の世界しか接したことがないように見えるからです。恐らく彼は家族もおらず、一人ぼっちです。友達と呼べるものは、トナカイのスヴェンしかいません。エルサがマジョリティーの中で生きるために自分を抑圧して生きるマイノリティーなら、彼は、マジョリティーの世界を知らずマイノリティーにとどまらざるを得ない人物なのです。
クリストフの歌を聞いてみましょう。
Reindeer(s) are Better than People(ジョナサン・グロフ)歌詞/和訳(くらら)
Reindeers are better than people
Sven, don’t you think that’s true?
Yeah, people will beat you and curse you and cheat you
Every one of em’s bad, except you
But people smell better than reindeers
Sven, don’t you think I’m right?
That’s once again true, for all except you
You got me. Let’s call it a night
Good night. Don’t let the frostbite bite
トナカイは人よりいい
スヴェン、そう思わない?
そうね、人は叩くし口も汚いし裏切るもんだ
みんなそうなんだよ、きみは違うけど
でも人はトナカイよりいい匂いがする
スヴェン、そう思わない?
それも正しいね
もちろんきみだけは違うけどね
やられたなぁ、
そろそろお開きにしようか
お休み、凍傷に気を付けろよ
クリストフの唯一の相棒はスヴェンです。もちろんトロールという立派な友達もいますが、いつもクリストフのそばにいてくれる存在はスヴェンだけです。

しかしスヴェンがしゃべるときに口が動いているのはクリストフのほうですね。クリストフがスヴェンのセリフを言っている、つまりスヴェンは最初からしゃべっておらずしゃべるのはクリストフのみですね。スヴェンは、人格化されたクリストフの「独り言」なのです。スヴェンはもう一人のクリストフです。彼の寂しさが伝わってきて、胸が痛みますね。クリストフは、人間よりトナカイのスヴェンのほうがずっと好きです。社会的弱者であるクリストフの悲しみが伺える歌でした。この映画でジャンヌダルクのアナに救われるのは、エルサ一人だけではありません。アナが救うのはアナ自身やアレンデール王国の人たち、そして社会的弱者のシンボルとしてのクリストフも含まれています。
クリストフとアナが出会うのは、山小屋でした。彼は、エルサが作り出した吹雪がどこから来たのかを知っていましたが、教えようとしません。手を差し伸べたのはアナのほうでした。もちろん助けをもらうためでしたが、彼女はスヴェンの大好物の人参も忘れていません。人参をスヴェンにあげたとき、クリストフはしぶしぶアナに協力することを決めます。オラフの鼻もそうでしたが、この物語における人参は、「他者へ向けるちょっとした愛情や興味」のメタファーにも思われます。初めて他人から受ける関心によって、クリストフはアナを助けるようになったのではないでしょうか。

「アナと雪の女王(Frozen)」レビュー/分析(シリーズ)
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クリストフの相棒トナカイのスヴェン。
くららさんによれば、クリストフのもう一つの自我であるといいます。
クリストフがスヴェンと歌うとき口はクリストフしか動いてないのです。
これは、孤独なクリストフの1人遊び、おままごとのようなものだと感じていました。
彼は変わり者つまり、マイノリティです。
でも、彼はマジョリティーになれないこと、マイノリティであることにどこか開き直っている部分があるとこの歌を聞いてると思うのです。
彼の自我はまだ未熟であり、どこか他者と関わらず、内面世界にひきこもることで自分を強く保とうとしているようにも感じます。
そんなクリストフを社会的弱者としての象徴として解釈するくららさんの考えはとても面白いです。
そんな彼を救うのは、マジョリティであるはずのアナなのです。
彼はアナという他者から自分を認めてもらうことで、未熟な自我を成長することが出来たのだと思います。
だから、彼は最終的に他者を愛することが出来たのだと感じていました。
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初めまして。コメント失礼します。
なるほど。スヴェンをクリストフのもうひとつの自我と考えるなら、スヴェンがアナになついたり、オラフ登場前にはしゃいでいたり、アナに会うようにクリストフに訴えかけるのも納得いきます。
オラフがクリストフの名前を間違えるのは、この事の暗示かもしれません。
いぜる様
コメントありがとうございます。そして返信遅くなってしまってすみません。
クリストフがなぜスヴェンの言葉をしゃべらなければいけなかったという点に疑問が湧いて、見てるうちに、これってもう一人のクリストフかもと思うようになりました。
オラフがクリストフの名前を間違える部分も意味深いですね。”Who is the funky looking donkey over there?”と問いかける部分は今見ても笑ってしまいます。笑