『アナと雪の女王』からディズニーアニメを考える|『アナと雪の女王』レビュー①

  3月14日に公開した『アナと雪の女王(Frozen,2013)』を見てきました。ネタバレありの、くらららしい映画レビューを始めます。まとめ一覧はこちらです

誰が見ても楽しめるディズニー映画、『アナと雪の女王』

  断じて誓って言えるのは、「ディズニーの魅力が詰まった映画」、「ディズニー映画の完結版」そのものです。ディズニーアニメーション『アナと雪の女王』を観た感想です。大げさに聞こえるかも知りませんがこれ以上『アナと雪の女王』を上手く表す言葉はないだろうと思います。胸に詰まってくる感動、切なさ、笑い…そして思わず涙が流れる温もり…名作とはこんなものに言えるだろうと思わずにはいられませんでした。映画が終わり、外はまたじめじめした冷たい風に吹かれていましたが、ちっとも寒くなかったです。幸せな気持ちに包まれ、昂ぶった心は呟きました。「もうすぐ桜が咲くだろうね」と。

 『アナと雪の女王』というアニメーション。子供には子供の目線で、大人には大人の目線で楽しめる映画です。だからでしょうね。映画館は、子連れの家族やカップル、友達同士で来た人たちなど客層は幅広く、ほぼ満席でした。私たちがディズニーを愛する理由、それは「万人受け」なエンターテイメントだからでしょう。

(C)2013 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.
(C)2013 Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.

↑2014年3月14日公開された『アナと雪の女王』日本ポスター

  この映画は四つの面で楽しめます。「家族愛・エルサとアナの成長物語・マイノリティーの受容と成熟のプロセスとディズニー映画の成長」といった側面です。表向きのメッセージはダブルヒロインであるエルサとアナの姉妹愛です。特別な能力あるいは個性を抑えて生きることを強いられたエルサの自己形成の過程と共に純粋な妹アナが大人になっていく過程を描いています。また、手に触れる全てを凍らせたり、雪を降らせることができるエルサの能力は魔女のキャラクターのひねりであることがわかります。アンデルセンの『雪の女王』がモチーフですので映画の時代背景は中世時代であることがわかります。特別な能力からみる限りエルサは魔女です。魔女狩りが行われ始まった中世において、魔女は多数とは違う少数者を示すシンボルであります。しかし、物語は悪である魔女と戦う善なるアナを描いているわけではありません。多くの人(普通の人)とは違うエルサを、ほかのみんなに合わせるのではなく、多数とは異なる少数者を受け入れる結末ですからね。私は、この映画をディズニー映画が最も得意なものを最も自慢できるよう完成させたものだと確信します。

  このアニメーションは、ディズニー映画の成長の物語にも見えます。映画はエルサとアナの成長の物語、そしてマイノリティーとして生きる個人の成長とそれを受容していく成熟した社会について描いています。「ディズニーのフィルターを通して」です。数々の傑作を生みだしたウォールト・ディズニー・スタジオの53番目の作品である『アナと雪の女王』は、ディズニーらしさを秘めて、ディズニーらしさの固定観念を見事に破いています。それは大成功でした!『アナと雪の女王』が、累計興行成績で36千万ドルを記録し、『ライオン・キング』を上回ったといいますから。すごい記録ですね。長い前置きは程々にして、その素晴らしい『アナと雪の女王』を楽しんでみましょうか。まず、この映画を通じて見られるディズニーアニメーションの成長の物語です。

ディズニーアニメーション映画の成長

子供文化をリードしてきたディズニー

  ウォルト・ディズニーは、「子供の心こそが私たちのもっとも大きな資源である(Our greatest natural resource is the minds of our children)」と言いました。子供向けの漫画、アニメーション、そしてテーマパークまで、ジャンルを問わないディズニー帝国を築いた原動力は、「子供の心」でした。それは人間そのものの純粋さへのこだわりでもあります。子供を経験していない大人はいません。だからこそ、子供という段階はもっとも大事なのです。何しろ「三つの魂、百まで」ですからね。ディズニー映画は『アナと雪の女王』を境に代わります。永遠なメルヘンに留まったピーターパンが大人の世界に根を下ろし始まったと言えばいいかも知りません。ディズニーの子供たちはお伽話から出てきて、壺を壊す痛みを乗り越えて大人になっていき始まりました。エルサとアナを通じて。

  ディズニーは20世紀において世界の子供文化をリードして来ました。子供文化として考えられて来た漫画やアニメにおいてもそうですね。ディズニー以外の制作会社の制作者たちもディズニーで修行をした人たちが多いので、ディズニーの影響は無視できないと思います。ドリーム・ワークスやピクサーなどのライバルが現れるまで、アニメ業界の絶対的リーダーでした。ディズニー制作部門で大きい貢献をしていたジェフリー・カッツェンバーグがディズニーから出てドリームワークスを設立したのが1994年ですから、1990年生まれの私はディズニー全盛期を経験した子供の一人です。子供の頃を振り返るとディズニーなしでは語れないほど、私自身ディズニーが作り上げた世界観の影響を多いに受けて育ちましたし、ディズニー映画は私を作り上げる大きいパズルの一つでもあります。私は幼い頃、人魚姫のアリエルになりたくて毎日足を片方にそろえて人魚のように座って、アリエルの歌を貪るように歌っていました。私が初めて絵らしきものを描いたのは女の人で髪の毛は彼女の頭から尾まで延ばされていました。足の部分は人魚姫のように魚のそれでしたから。その次は『美女と野獣』でしたが私に一番影響を与えていたのは『リトル・マーメイド』でした。

ディズニーアニメーション映画の特徴

  ディズニーアニメーションの特徴は、童話やお伽話、古典文学の図式を単純化し、そ のファンタジーを拡大することにあります。よって、ディズニー映画はその前近代的な価値観のゆえ、たくさんの指摘を受けてきました。『白雪姫(Snow White and the Seven Dwarfs,1937)』、『シンデレラ(Cinderella,1952)』、『リトル・マーメイド(The Little Mermaid, 1989)』などは童話を子供向けに書き換えたものですし、『ライオン・キング(The Lion King,1994)』はシェイクスピアの『ハムリット』からインスピレーションを受けています。『白雪姫』を初めとする「お姫様と王子様のハッピーエンド型」の物語の図式は至って単純です。美しいお姫様を救う白馬の王子様(善)、そしてお姫様を嫉妬したり、苛める魔女(悪)といった平面的なキャラクター、常に善と悪の対立で常に悪に打ち勝つ善を、繰り返し映し出してきたのです。ヒロインたちは、極めて受け身的であり、内面的な葛藤も見られません。キャラクターたちは女性らしさと男性らしさのステレオタイプに大きく依存しており、昔から引き継がれている男女の役割を理想化しています。ディズニーは、ステレオタイプの男女と善悪の対立を最大化したファンタジーで映し出すことで、子供のいや、人々の心を掴み、代理満足させてきたのです。

  ディズニーのプリンセスたちを思い返してみると、皆とても美しいですね。美の変遷史をディズニープリンセスの歴史から辿ることもあるくらいです。女性的魅力が強い美しい彼女たちは、誰かに守られなければならない弱い存在として描かれています。彼女は魔女に妬まれて呪われますが、彼女たちを救うのは、剣を持ったかっこいい王子様です。彼らは勇敢でみんなが怖がる魔女に堂々と向かって、とても簡単に魔女を倒し、お姫様を解放します。王子とのキスや冒険によって助けられたプリンセスを待っている結末は、「いつまでも幸せに暮らしました(Happily ever after)」です。善と悪の対立と善の勝利は、王子と姫の結婚、そして悪から守られる幸せな王国という形で示されているのです。
この平面的なプロットと貧弱なストーリーを補うのは、綺麗な映像と音響といった演出です。ディズニーアニメーションは、ミュージカルの形式を取っておりますが、ストーリーは忘れてもディズニーが演出する素晴らしい歌によって、感動が蘇ります。ムーランの「
Reflection」や『アナと雪の女王』の「Let it go」など主人公たちの心境を描いた歌は、心にずっと残って映画を見たときと同じ、もしくはもっと大きい感動を与えてくれます。

  しかし、天下のディズニーも変化を強いられるようになります。様々な要因があると思いますが、最も大きい原因は、ドリームワークスやピクサーの登場だと思います。白人のきれいなお姫様と王子様のお伽噺に飽き始めた人たちにとって、ディズニーの世界観を捻って笑いを誘うシュレックのドリームワークス、そしてストーリー性が優れるピクサーのアニメーションは、新鮮でセンセーショナルでした。ディズニーはネイティブ・アメリカンのヒロインにしたり(『ポカホンタス(Pocahontas,1995)』)、アジアの女性をヒロインに立たせ戦場に向かわせたり(『ムーラン(Mulan,1998)』)と変化を務めました。しかし根本的にディズニープロットは大きく変わらず、ディズニー帝国の衰退を止めるには足りませんでした。そうしてディズニーはその王座を奪われて行きつつありました。「『アナと雪の女王』が発表される前までは」と言いたいですが。   

ディズニーアニメーションの自己改革である『アナと雪の女王』

  『アナと雪の女王』はディズニーらしさを保ちながらも既存のディズニーの世界観から脱皮しています。子供から大人まで満足させるために、そして全ての人が最も打たれる「家族愛」や「成長の物語」を全面に出したのは賢い選択だったと思います。この映画では、ディズニーがいつも物語ってきた「本当の愛(True Love)」を男女の愛ではなく家族愛という形として描いており、既存のディズニー的ストーリーの枠から一歩進んでいます。そして多数と異なるエルサと子供じみたアナの成熟やその過程の苦しみは私たちが子供から大人になっていく過程でもあります。だからこそ私たちは心を打たれ、涙を流し、納得するのです。   

  『アナと雪の女王』は、ディズニーアニメーションらしく、既存の童話からモチーフをもって来ており、「愛」について語っています。魔法や奇跡といったファンタジー性を引き継いでおり、「そしていつまでも幸せに(Happily ever after)」な結末もディズニーならではのハッピーエンドです。しかしそれと同時に、既存のディズニーストーリーを捻るという大胆さも見せてくれます。王子様を待つ美しいディズニープリンセスの姿はアナの歌「For the first time forever」によく表れています。アナはディズニープリンセスの枠組みを受け継いでいる存在の証拠です。そして愛だと信じた王子は偽りでした。アナの国が欲しくて愛するふりをしたと言いますから、ショックでしょうね。

  エルサではなくアナが先にエンディング・クレジットに名前が上がるのはその理由かも知れません。物語は、アレンデール王国の二人の王女、触った物を凍らせる能力を持っている姉エルサと「普通の(このキーワードは重要)子」である妹アナを中心に進んでいます。エルサはある意味で魔女(魔法の力を持つ)です。エルサから王国を奪われた美しい姫がアナです。しかし物語で、魔女呼ばわりされるべきエルサは悪人として描かれていません。魔女は王子によって殺されるべき存在ではなく、その特別な能力のゆえに苦しみ、成長するもう一人の主人公です。お伽噺から追い出され、大人の世界で成熟していくアナと共に。

  既存の図式に当てはめると、エルサとアナは悪と善の二元論的存在です。二人の性格はほとんど逆です。冬のエルサ、夏のアナ、魔法が使えるエルサ、普通の(このキーワードに注目)アナ、心を閉ざしたエルサ、心を開いているアナ、大人びたエルサ、子供のように天真爛漫なアナ、幸せな王国を凍らせるエルサ、そんな王国を元に戻そうとするアナ、孤独な一人ぼっちのエルサ、男に助けられるアナ…二人は姉妹として結ばれていますが、本来の物語ならアナがエルサと戦い打ち勝たなければいけなかった関係なのです。

  しかし、人間というものは白黒がはっきりした平面的に語られるものではありません。ディズニーはこの映画を通して、過去の平面的なディズニーキャラクターにさようならを告げ、魔女と姫のキャアックターを立体的に作り上げます。善と悪を区別する図式を、マイノリティーとマジョリティーの区別に置き換えたのです。悪とされることは、マイノリティーであることが多いですからね。多様化する社会の中で、みなが同じでなければならないという観念はマイノリティーを尊重しようとする動きに変わっています。エルサは悪ではなく、社会的少数者を示すことがわかります。もちろん悪人は登場しますし、後半において悪人と善人の対立の中での善の勝利を描いている場面もあります。しかしここに多くの時間を使うわけではありません。

ディズニーが伝え続けてきたメッセージ:「True Love」

  この映画でディズニーが描きたかったのは、「本当の愛(True Love)」です。本当の愛によって、私とは異なる他人は悪ではなく、私が理解して愛しなければならない存在であること見事に現しています。それによって得られるアレンデール国の魔法(呪い)からの解放は、私たちを自由にする力は「本当の愛」にあるのだと示しています。考えてみると昔も今もディズニーが描きたかったのは一つ、「本当の愛(True Love)」でした。プリンセスと王子の愛によって平和な国を取り戻すというディズニーアニメーションの今までのナラティブは、20世紀という時代的特徴のものでした。しかし時代は変わりました。変わった時代には別の角度からの愛への照らしも必要です。『アナと雪の女王』がそれでした。

<『ミッキーのミニ救出大作戦』の同時上映の意図は?>

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  ↑『ミッキーのミニ救出大作戦』
(http://ugc.disney.co.jp/blog/movie/article/21790?category=anayuki)

  映画が始まる前に同時上映で『ミッキーのミニ救出大作戦』が映されます。それは、モノクロ時代のミッキーを最新の映像技術で表した18年ぶりのミッキーマウスシリーズです。いつものように楽しい日常を送っているミッキーとミニーですが、ピートのいじめに遭います。ミニーを取られて、一人でモノクロの画面から3Dの画面に投げ出されるミッキーですが、仲間たちと一緒にミニーを助けるのに成功します。そして元のモノクロの画面(本の中)に戻って、ピートを追い出すことで終わります。この短編映画、単にディズニーファンへのサービスではない気がします。モノクロの世界(2次元アニメーション時代)から追い出されるミッキー(ディズニー)が3Dの世界で再びモノクロの世界を救い、結局はモノクロの世界に帰るということは、ディズニーの意気込みのように見えました。3Dの世界の中で現代の世界観に合わせながらも、2Dの時代から受け継いで来た本質に回帰し、自分たちが持つ強みで自分たちの王座を守ると宣言しているかのように見えたといったら飛躍しすぎでしょうか。

  『アナと雪の女王』は、姉妹の葛藤が生まれた背景から解決までが描かれる物語です。おもしろいのは、この過程において男の力を借りるのではなく、姉妹たち自ら立ち上がり問題にぶつかっていくということです。長年に渡る姉妹の葛藤を解決するに当たって必要なのは、相手を悪とみなしそれを罰する姿勢ではありません。人と人の関係を回復し、平和が実現させる力は、理解を伴う妥協、犠牲です。
  このようにディズニーファンタジーは、既存のファンタジーの枠から現実へと一歩踏み出しました。そして彼らが現実性を持って再び帰るのは、ファンタジーの世界です。この過程を象徴的に描いている『ミッキーのミニ救出大作戦』は、『アナと雪の女王』のプロローグであり、ディズニー精神そのものの表しかもしれません

「アナと雪の女王(Frozen)」レビュー/分析(シリーズ)

 『アナと雪の女王』からディズニーアニメを考える

孤独なマイノリティであるエルサ

殻を破いたエルサの「Let it go」

雪だるまのオラフはなぜ夏に憧れるのか?

オラフの独り言に隠された意味

アナはなぜエルサのドアを叩き続けるのか

アナが夢見るのはロマンスではなく「受け入れられること」

「Love is an open door」に込められた二つの意味

トナカイ・スヴェンとクリストフの関係性

エルサはなぜアナを拒むのか@凍り付いた城

なぜトロールたちは「愛の専門家」なのか?

凍り付いた世界に「本当の愛(真実の愛)」を!

『アナと雪の女王』からディズニーアニメを考える|『アナと雪の女王』レビュー①” への17件のフィードバック

  1. 素晴らしいレビューをありがとう!!
    こんな風に解釈できるとは、くららさんの感性は素晴らしいですね。
    これからも、ぜひくららさんの感じたことや解釈などブログで紹介してください!!

  2. wakawaka's favorite♪ でリブログしてコメントを追加:
    『アナと雪の女王』は私も見に行きましたが、ディズニーの一作品としてエンターテイメントとして単純に楽しんだだけでした。

    くららさんはこの映画の細部に散りばめられているメッセージについてひとつひとつ解釈を与えてくださいます^ ^

    くららさんはこの映画をただのエンターテイメントだけでなく現代へのメッセージ性の強い作品であるという解釈をし、この映画をより深く理解するための解釈を提示してくれてます!

  3. […]   精神科医ワーサムは、漫画が少年犯罪を呼び起こす原因であると指摘しています。1950年代までコミック(漫画)は、子供向けのコンテンツでした。多くの子供向けメディアがそうであるように、アメリカン・コミックも、現実世界を極端に単純化し、単純化された図式を極大化させ、単純明瞭な勧善懲悪の世界を描いていました。(ディズニーもそうでした。『アナと雪の女王』からディズニーアニメを考えるを参照)問題は、その過程で暴力的なシーンや性的表現も多く含んでいたことでした。暴力的かつ性的なアメリカン・コミックは、子供が読むコンテンツとしてふさわしくないと考えたワーサムは漫画を有害書として選びます。ワーサムの本は話題となり、コミックス倫理規定委員会(the Comics Code Authority, CCA)が作られ、暴力や性的表現を制限するようになったのもこの時です。 […]

  4. とても興味深く読ませていただきました。こんなにも深く分析しているsiteはないと思います。よろしければ,英語のバックグラウンドを教えていただけませんか。長い間,外国に住んでいたのですか。

    1. nariaimoco様
      コメントありがとうございます。そして返信が遅くなって大変申し訳ございません。
      英語は、海外に行くきっかけがあったのと、英語で本を読むのが好きだったので自然に身に付きました。まだまだネイティブというほどにはなれないので、勉強しなければと思っています。
      あまり役に立てなくてすみません。涙

  5. […] 「眠れる森の美女」は王国の王室に久しく生まれた姫が主人公でした。もし姫が主人公の話だったら飽き飽きしてくるお伽噺と思いがちです。しかしこの映画は、姫に呪いをかけた魔女、マレフィセントを中心に物語を進めています。以前の記事(『アナと雪の女王』からディズニーアニメを考える)で述べたように、ディズニーが描く物語の図式は、至って単純で「お姫様と王子様のハッピーエンド」で締めくくる形で勧善懲悪のメッセージを伝えます。ここで、男女および善悪の関係性ははっきりわかる形で平面化かつ単純化されているのが特徴です。そうするこによって美しい童話のファンタジーをフィクションとして最大化させるのがディズニー映画だったのです。しかし、『アナ雪』において、登場人物のキャラクターおよび関係性は複雑化するようになりました。そうして出来上がった二人のヒロイン、エルサとアナは、前近代的なステレオタイプを壊し生き生きと自らを成長させていきます。そして二人の成長の過程に描かれる葛藤と解決はとても人間臭さを持つようになりました。同時に童話のファンタジー性を失わない絶妙なバランスを保っていますね。こうして『アナと雪の女王』は、子供は笑って見、大人は泣いて見る映画となり、異例的なヒットを記録するようになります。 […]

  6. […] 「眠れる森の美女」は王国の王室に久しく生まれた姫が主人公でした。もし姫が主人公の話だったら飽き飽きしてくるお伽噺と思いがちです。しかしこの映画は、姫に呪いをかけた魔女、マレフィセントを中心に物語を進めています。以前の記事(『アナと雪の女王』からディズニーアニメを考える)で述べたように、ディズニーが描く物語の図式は、至って単純で「お姫様と王子様のハッピーエンド」で締めくくる形で勧善懲悪のメッセージを伝えます。ここで、男女および善悪の関係性ははっきりわかる形で平面化かつ単純化されているのが特徴です。そうするこによって美しい童話のファンタジーをフィクションとして最大化させるのがディズニー映画だったのです。しかし、『アナ雪』において、登場人物のキャラクターおよび関係性は複雑化するようになりました。そうして出来上がった二人のヒロイン、エルサとアナは、前近代的なステレオタイプを壊し生き生きと自らを成長させていきます。そして二人の成長の過程に描かれる葛藤と解決はとても人間臭さを持つようになりました。同時に童話のファンタジー性を失わない絶妙なバランスを保っていますね。こうして『アナと雪の女王』は、子供は笑って見、大人は泣いて見る映画となり、異例的なヒットを記録するようになります。 […]

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